狼疾記 / 狼疾记
中島敦 / 中岛敦
【日】 養其一指、而失其肩背、而不知也、則為狼疾人也。――孟子――
【中】 养其一指,而失其肩背,而不知也,则为狼疾人也。——孟子——
一
【日】 スクラインの上では南洋土人の生活の実写がうつされていた。眼の細い・唇の厚い・鼻のつぶれた土人の女たちが、腰にちょっと布片を捲いただけで、乳房をぶらぶらさせながら、前に置いた皿のようなものの中から、何か頻しきりにつまんで喰べている。米の飯らしい。丸裸の男の児が駈けて来る。彼も急いでその米をつまんで口に入れる。口一杯頬張りながら眩まぶしそうに此方へ向けた顔には、眼の上と口の周囲とに膿み爛ただれた腫物が出来ている。男の児はまた向うをむいて喰べ始める。
【中】 银幕上正放映着南洋土著生活的实地纪录片。眼睛细长、嘴唇厚实、鼻子扁平的土著女人们,腰间仅仅裹着一块碎布,任由乳房晃荡着,不断地从面前类似盘子的东西里抓起什么塞进嘴里。看样子像是米饭。一个浑身赤裸的小男孩跑了过来。他也急忙抓起那米饭塞进嘴里。他嘴里塞得满满的,觉得刺眼似的把脸转向这边,只见他的眼睛上方和嘴巴周围长着化脓溃烂的肿块。小男孩又转过身去,继续吃了起来。
【日】 それが消えて、祭か何かの賑かな場面に代る。どんどんどんどんと太鼓の音が遠くなり近くなりして聞える。対むかい合った男女の列が一斉に尻を振りながら、それに合わせて動き出す。砂地に照りつける熱帯の陽の強さは、画面の光の白さで、それとはっきり想像される。太鼓が響く。乱暴な男声の合唱がそれに交って聞えて来る。尻が揺れ、腰に纏まとった布片がざわざわと揺れる。踊おどりから少し離れた老人たちの中心に、酋長しゅうちょうらしい男が胡坐あぐらをかいている。痩やせた・顴骨かんこつの出た老人で、頸くびに珠数のような飾を幾つも着けている。撮影されていることを意識してか、妙に落着の無い・蕃地での自信をすっかりなくしてしまったような眼付をして、踊を眺めている。時々思い出したように乱暴な飛躍と喚声と太鼓の強打とを伴うほか、いつまで経っても同じような単調な踊を、しょぼしょぼした目でじっと見詰めている。
【中】 画面消失,取而代之的是祭典之类的热闹场面。“咚咚咚咚”的太鼓声忽远忽近地传来。面对面站成两排的男女随着鼓点齐刷刷地扭动起屁股。照射在沙地上的热带阳光之强烈,通过画面那泛白的光线,让人能清晰地想象出来。太鼓阵阵作响。粗犷的男声合唱夹杂其中传来。屁股摇晃着,腰间缠着的布片也跟着窸窸窣窣地摆动。在稍稍远离舞蹈的人群中,一群老人的中心,一个像是酋长的男人正盘腿坐着。那是个骨瘦如柴、颧骨突出的老人,脖子上戴着好几串类似念珠的装饰品。不知是否意识到了正在被拍摄,他带着一种莫名的局促不安、仿佛完全丧失了在部落里那份自信的眼神,注视着舞蹈。除了偶尔像想起什么似的伴随着粗暴的跳跃、欢呼和太鼓的猛击之外,这无论过多久都如出一辙的单调舞蹈,他只是用浑浊的眼睛死死地盯着。
【日】 見ている中に、三造は、久しく忘れていた或る奇妙な不安が、いつの間にかまた彼の中に忍び込んで来ているのを感じた。
【中】 看着看着,三造感觉到一种久已遗忘的奇妙不安,不知不觉中又悄悄潜入了他的心中。
【日】 久しい以前のことである。その頃三造はこういうものを――原始的な蛮人の生活の記録を読んだり、その写真を見たりするたびに、自分も彼らの一人として生れてくることは出来なかったものだろうか、と考えたものであった。確かに、とその頃の彼は考えた。確かに自分も彼ら蛮人どもの一人として生れて来ることも出来たはずではないのか? そして輝かしい熱帯の太陽の下に、唯物論も維摩居士ゆいまこじも無上命法も、ないしは人類の歴史も、太陽系の構造も、すべてを知らないで一生を終えることも出来たはずではないのか? この考え方は、運命の不確かさについて、妙に三造を不安にした。「同様に自分は」と、彼は考え続ける。「自分は、今の人間とは違った・更に高い存在――それは他の遊星の上に棲すむものであろうと、あるいは我々の眼に見えない存在であろうと、または、時代を異にした・人類の絶滅したあとの地球上に出て来るものであろうと、――に生れて来ることも可能だったのではないか? その正体が解らない故に我々が恐怖の感情を以て偶然と呼んでいるものが、ほんのちょっとその動き方を変えさえしたなら、そのような事が自分に起らなかったと誰が言えよう。そして、もしも自分がそのような存在に生れていたとすれば、今の自分には見ることも聞くことも、ないしは考えることも出来ないような・あらゆる事を見、聞き、考えることが出来たであろう。」こう考えるのは彼にとって堪えがたく恐ろしいことであった。と同時に、堪えがたくいらだたしいものでもあった。この世には自分に見ることも聞くことも考えることも(経験的にではなく能力上)出来ないものが有り得る。自分が違った存在であったら考えることが出来たであろうことを、自分が今の存在であるばかりに考えることも出来ぬ。こう考えて来ると、漠とした不安の中にありながら、なお当時の三造は、一種の屈辱に似たものを覚えるのであった。
【中】 那是很久以前的事了。那时,每当三造读到这种关于原始蛮人生活的记录,或是看到相关的照片时,他总会想:难道我就不能作为他们中的一员出生吗?确实如此,那时的他这样想着。难道我本不也可以作为他们这些蛮人中的一员降生于世吗?然后在灿烂的热带阳光下,对唯物论、维摩居士、无上命法(绝对命令),乃至人类的历史、太阳系的构造等一无所知地度过一生,难道不是可能的吗?这种想法,让三造对命运的不确定性感到一种莫名的不安。“同样地,我自己,”他继续思考着,“我难道不也有可能降生为一种与现在的人类不同的、更高级的存在——无论那是栖息在其他行星上的生物,还是我们肉眼看不见的存在,亦或是时代不同、在人类灭绝后的地球上出现的物种——吗?就因为它的真面目无法为人所知,我们才怀着恐惧的感情称之为‘偶然’的东西,只要它稍微改变一下运作方式,谁敢说那样的事情就不会发生在我身上?而且,如果我作为那样的存在降生了,我就能看到、听到、思考现在我所无法看到、听到、乃至思考的各种事物了。”这种想法对他来说是极其可怕、难以忍受的。同时,也是令人烦躁不安的。在这个世界上,有可能存在着我(在能力上而非经验上)无法看到、听到、思考的东西。仅仅因为我是现在的这种存在,我就无法思考如果我是另一种存在本可以思考的事情。一想到这里,尽管深陷于茫然的不安之中,当时的内心仍能感受到一种近似于屈辱的情绪。
【日】 スクリインでは先刻の踊の場面が消えて密林の風景にかわっている。手と尾との長い真黒な猿が幾匹となく枝から枝へと跳渡っている。ひょいと立止って此方を見た・その猿の一匹は、眼の縁に白い輪がかかっていて、眼鏡をかけているように見える。嘴くちばしの二呎フィートもありそうな鳥が厭な声を立てて枝から飛立つ。
【中】 银幕上先前的舞蹈场面消失,变成了密林的风景。不知多少只长着长手长尾的漆黑猴子在树枝间跳跃穿梭。其中一只猴子猛地停下看向这边,它的眼眶上有一圈白色的圆环,看起来就像戴着眼镜。一只喙长约两英尺的鸟发出难听的叫声,从树枝上飞起。
【日】 三造の考えは再び「存在の不確かさ」に戻って行く。
彼は最初にこういう不安を感じ出したのは、まだ中学生の時分だった。ちょうど、字というものは、ヘンだと思い始めると、――その字を一部分一部分に分解しながら、一体この字はこれで正しいのかと考え出すと、次第にそれが怪しくなって来て、段々と、その必然性が失われて行くと感じられるように、彼の周囲のものは気を付けて見れば見るほど、不確かな存在に思われてならなかった。それが今ある如くあらねばならぬ理由が何処どこにあるか? もっと遥かに違ったものであっていいはずだ。おまけに、今ある通りのものは可能の中での最も醜悪なものではないのか? そうした気持が絶えず中学生の彼につき纏うのであった。自分の父について考えて見ても、あの眼とあの口と、(その眼や口や鼻を他と切離して一つ一つ熟視する時、特に奇異の感に打たれるのだったが)その他、あの通りの凡すべてを備えた一人の男が、何故自分の父であり、自分とこの男との間に近い関係がなければならなかったのか、と愕然がくぜんとして、父の顔を見直すことがその頃しばしばあった。何故あの通りでなければならなかったのか。他の男ではいけなかったのだろうか?……周囲の凡てに対し、三造は事ごとにこの不信を感じていた。自分を取囲んでいる・あらゆるものは、何と必然性に欠けていることだろう。世界は、まあ何という偶然的な仮象の集まりなのだろう! 彼はイライラしていつもこのことばかり考えていた。時として何だか凡てが解りかけて来そうな気がすることもないではなかった。それは、つまりその場合その偶然が――何から何まで偶然だということが結局ただ一つの必然なのではないか、という・少年らしい曖昧な考え方であった。それで簡単に解答が与えられたような気がすることもあった。そうでない時もあった。そうでない時の方が遥かに多かった。幼い思索はいらいらしたはがゆさを感じながら、必然という言葉の周囲をどうどう廻めぐりしては再び引返して行った。
【中】 三造的思绪再次回到了“存在的不确定性”上。
他最初开始感到这种不安,还是在读中学的时候。就像对汉字一样,一旦开始觉得某个字长得很奇怪——把它一部分一部分地拆解开来,开始思考这字这样写到底对不对,渐渐地就会觉得它很可疑,一点点地感到它失去了其存在的必然性——他周围的事物,越是仔细观察,越发让他觉得是不确定的存在。它为什么必须是现在这副模样呢?本可以截然不同才对。而且,现在这副样子难道不是所有可能性中最丑陋的一种吗?这种情绪不断地纠缠着还是中学生的他。就算想想自己的父亲,那眼睛、那嘴巴(当把那些眼睛、嘴巴、鼻子与其他部分分离开来,逐一凝视时,尤其会感到一种怪异),还有具备了那副模样的所有特征的一个男人,为什么偏偏是自己的父亲?为什么自己和这个男人之间非得有这么近的关系不可?那时的他时常因此感到愕然,重新审视父亲的脸。为什么必须是那样呢?换成其他男人就不行吗?……对于周围的一切,三造处处都能感到这种不信任。包围着自己的一切事物,是多么缺乏必然性啊。世界,啊,这到底是怎样一个充满偶然性假象的集合体啊!他总是焦躁地思考着这些事。有时也会觉得仿佛一切都要豁然开朗了。那就是说,在这种情况下,那个偶然——即“彻头彻尾的偶然”本身,归根结底难道不就是唯一的必然吗?这是一种少年特有的暧昧想法。有时他觉得这便轻易地给出了答案。但有时又不觉得。不觉得的时候要多得多。稚嫩的思索带着一种令人焦躁的懊恼,在“必然”这个词周围兜兜转转,然后又退了回去。
【日】 映画は古風な河蒸気が岸の低い川を下って行くところをうつしていた。蕃地の探検を終えた白人の一行が引揚げて行く所なのであろう。
それが消え、最後の字幕も消えると、パッと電燈が点ついた。
【中】 电影放映着一艘古老的内河轮船顺着两岸低矮的河流顺流而下的画面。大概是结束了蛮荒之地探险的一行白人正在撤退的场景吧。
画面消失,最后的字幕也消失了,“啪”的一声,灯光亮了起来。
【日】 映画館を出ると、三造は、早目の晩食を認したためるために、近処の洋食屋にはいった。
料理を卓に置いて給仕が立去った時、二つ卓を隔てた向うに一人の男の食事をしているのが目に入った。その男の(彼は此方に左の横顔を見せていた。)頸くびのつけねの所に奇妙な赤っちゃけた色のものが盛上っている。余りに大きく、また余りに逞たくましく光っているので、最初は錯覚かとよく見定めて見たが、確かに、それは大きな瘤こぶに違いなかった。テラテラ光った拳大こぶしだいの肉塊が襟カラーと耳との間に盛上っている。この男の横顔や首のあたりの・赤黒く汚れて毛穴の見える皮膚とは、まるで違って、洗い立ての熟したトマトの皮のように張切った銅赤色の光である。この男の意志を蹂躪じゅうりんし、彼からは全然独立した・意地の悪い存在のように、その濃紺の背広の襟カラーと短く刈込んだ粗い頭髪との間に蟠踞ばんきょした肉塊――宿主やどぬしの眠っている時でも、それだけは秘かに目覚めて哂わらっているような・醜い執拗な寄生者の姿が、何かしら三造に、希臘ギリシヤ悲劇に出て来る意地の悪い神々のことを考えさせた。こういう時、彼はいつも、会体の知れない不快と不安とを以て、人間の自由意志の働き得る範囲の狭さ(あるいは無さ)を思わない訳に行かない。俺たちは、俺たちの意志でない或る何か訳の分らぬもののために生れて来る。俺たちはその同じ不可知なもののために死んで行く。げんに俺たちは、毎晩、或る何ものかのために、俺たちの意志を超絶した睡眠という不可思議極まる状態に陥る。……その時ひょいと、全然何の連絡もなしに、彼は羅馬ローマ皇帝ヴィテリウスの話を思出した。貪食家の皇帝は、満腹のために食事がそれ以上喰べられなくなるのを嘆いて、満腹すれば独得の方法で自みずから嘔吐し、胃の腑を空からにして再び食卓に向ったというのだ。何故こんな馬鹿げた話を思出したのだろう?
【中】 走出电影院,三造为了吃顿早点的晚餐,走进了附近的一家西餐厅。
当服务员把菜放在桌上离开时,他注意到隔着两张桌子的地方有个男人正在进食。那个男人(他向这边露出左脸的侧面),脖子的根部奇妙地隆起了一块红褐色的东西。因为太大,而且闪着油亮的粗犷光泽,起初他还以为是错觉,仔细定睛一看,确实是个大肉瘤没错。拳头大小、油光锃亮的肉块隆起在衣领和耳朵之间。与这个男人侧脸和脖子附近那发红发黑、毛孔清晰可见的脏污皮肤完全不同,它散发着像刚洗过的熟透西红柿皮一样饱满的铜红色光泽。它仿佛蹂躏着这个男人的意志,是一个完全独立于他之外的、恶毒的存在,盘踞在那藏青色西服的衣领和剪得短短的粗糙头发之间——这是一个即使宿主在沉睡时,唯独它在暗自苏醒并嘲笑般的、丑陋而固执的寄生者模样,不知为何,这让三造联想到了希腊悲剧里那些恶毒的神明。在这种时候,他总是不可避免地带着莫名其妙的不快和不安,思考起人类自由意志能发挥作用的范围是何等狭小(或者干脆就是没有)。我们,是为了某种非我们意志所能决定的、某种不知为何物的东西而降生。我们又为了同样不可知的它而死去。事实上,我们每晚都会为了某种东西,陷入一种超越了我们意志的、名为睡眠的极端不可思议的状态中。……这时,毫无关联地,他突然想起了罗马皇帝维特里乌斯的故事。那位贪吃的皇帝,为了因为吃饱而不能吃下更多的食物而感叹,据说一旦吃饱了,他就会用独特的方法催吐,把胃排空后再次坐到餐桌前。为什么会想起这种荒唐的故事呢?
【日】 料理店の白い壁には大きな電気時計が掛かっていて、黄色い長い秒針が電燈の光を反射させながら、無気味な生物のように廻転している。容赦なく生命を刻んで行く冷たさで、くるくると絶間なく動いている。その下では中年の瘤男がせっせと口を動かし、それにつれて頸の肉塊も少しずつ動くような気がする。
三造は、すっかり食慾をなくして、半分ほど残したまま、立上った。
【中】 餐厅白色的墙壁上挂着一个大电子钟,黄色的长秒针反射着灯光,像某种阴森的生物一样旋转着。它以一种毫不留情地雕刻着生命的冷酷,骨碌骨碌地不停转动。在它下面,长着肉瘤的中年男人正拼命地咀嚼着,三造觉得随着他的动作,他脖子上的肉块似乎也在一点点地蠕动。
三造彻底失去了食欲,饭吃了一半,便站起身来。
【日】 掘割沿ぞいの道をアパアトへ向って彼は帰って行く。家々にも街頭にも灯ははいり始めたが、まだ暮れ切らない空の向うを、教会の尖塔や風変りな破風はふ屋根をもった山手の高台のシルウェットが劃かぎっている。上げ汐と見え、河岸に泊っている汚らしい船々の腹に塵芥がひたひたと寄せている。水の上には明暗の交ったうそ寒い光が漂っているようだ。仄かな陰翳かげが其処そこから立昇り、立昇っては声もなく消えて行くのである。
気配は感じられても姿を現さない尾行者に蹤つけられているような気持で、彼は独り河岸っぷちを歩いて行く。
【中】 沿着运河边的道路,他向公寓走去。家家户户和街头都开始亮起了灯,但在还未完全暗下来的天空的彼岸,教堂的尖塔和带有奇特破风屋顶的山手高地的剪影勾勒出了天际线。似乎正在涨潮,停泊在岸边的那些脏兮兮的船腹旁,垃圾正随波荡漾着。水面上似乎漂浮着明暗交织的凄冷光芒。微弱的阴影从那里升腾而起,升起后又悄然无声地消散。
带着一种仿佛被感觉到气息却不露身影的尾随者跟踪着的心情,他独自一人走在河岸边。
【日】 小学校の四年の時だったろうか。肺病やみのように痩やせた・髪の長い・受持の教師が、或日何かの拍子で、地球の運命というものについて話したことがあった。如何いかにして地球が冷却し、人類が絶滅するか、我々の存在が如何に無意味であるかを、その教師は、意地の悪い執拗さを以て繰返し繰返し、幼い三造たちに説いたのだ。後のちに考えて見ても、それは明らかに、幼い心に恐怖を与えようとする嗜虐症しぎゃくしょう的な目的で、その毒液を、その後に何らの抵抗素も緩和剤をも補給することなしに、注射したものであった。三造は怖かった。恐らく蒼あおくなって聞いていたに違いない。地球が冷却するのや、人類が滅びるのは、まだしも我慢が出来た。ところが、そのあとでは太陽までも消えてしまうという。太陽も冷えて、消えて、真暗な空間をただぐるぐると誰にも見られずに黒い冷たい星どもが廻っているだけになってしまう。それを考えると彼は堪らなかった。それでは自分たちは何のために生きているんだ。自分は死んでも地球や宇宙はこのままに続くものとしてこそ安心して、人間の一人として死んで行ける。それが、今、先生の言うようでは、自分たちの生れて来たことも、人間というものも、宇宙というものも、何の意味もないではないか。本当に、何のために自分は生れて来たんだ? それからしばらく、彼は――十一歳の三造は、神経衰弱のようになってしまった。父にも、親戚の年上の学生にも、彼はこの事について真剣になって訊ねて見た。すると彼らはみんな笑いながら、しかし、理論的には、大体それを承認するではないか。どうして、それで怖くないんだろう? どうして笑ってなんかいられるんだろう? 五千年や一万年の中うちにそんな事は起りゃしないよ、などと言ってどうして安心していられるんだろう? 三造は不思議だった。彼にとって、これは自分一人の生死の問題ではなかった。人間や宇宙に対する信頼の問題だった。だから、何万年後のことだからとて、笑ってはいられなかったのだ。その頃彼は一匹の犬を可愛がっていた。地球が冷えてしまう時に、仮に自分が遭遇するものとすれば、最後に氷の張り詰めた大地に坑あなを掘って、その犬と一緒に其処にはいって抱合って死ぬことにするんだが、と、その有様を寝床へ入ってから、よく想像して見たりした。すると、不思議に恐怖が消えて、犬のいとしさとその体温とが、ほのぼのと思い浮べられるのであった。しかし大抵は、夜、床に就いてからじっと眼を閉じて、人類が無くなったあとの・無意義な・真黒な・無限の時の流を想像して、恐ろしさに堪えられず、アッと大きな声を出して跳上ったりすることが多かった。そのために幾度も父に叱られたものである。夜、電車通どおりを歩いていて、ひょいとこの恐怖が起って来る。すると、今まで聞えていた電車の響も聞えなくなり、すれちがう人波も目に入らなくなって、じいんと静まり返った世界の真中に、たった一人でいるような気がして来る。その時、彼の踏んでいる大地は、いつもの平らな地面ではなく、人々の死に絶えてしまった・冷え切った円い遊星の表面なのだ。病弱な・ひねこびた・神経衰弱の・十一歳の少年は、「みんな亡びる、みんな冷える、みんな無意味だ」と考えながら、真実、恐ろしさに冷汗の出る思いで、しばらく其処に立停たちどまってしまう。その中に、ひょいと気がつくと、自分の周囲にはやはり人々が往来し、電燈があかあかとつき、電車が動き、自動車が走っている。ああ、よかった、と彼はホッとするのであった。これがいつものことだった。(註1)(註2)
【中】 记得是小学四年级的时候吧。一位瘦得像得了肺痨、留着长发的班主任,有一天不知怎么的,讲起了关于地球命运的话题。地球将如何冷却,人类将如何灭绝,我们的存在是何等的毫无意义,那位教师带着恶毒的执拗,反反复复地向年幼的三造等人宣讲。事后回想起来,那显然是出于一种试图给幼小心灵施加恐惧的施虐狂般的目的,在没有补充任何抗体或缓解剂的情况下,直接注射了毒液。三造非常害怕。想必当时一定是脸色苍白地听着的。地球冷却也好,人类灭亡也罢,这些倒还能忍受。然而,据说在那之后连太阳也会消失。太阳也会变冷、消失,在漆黑的空间里,只有黑暗冰冷的星体在无人知晓的情况下无休止地转动。一想到这个,他就无法忍受。那我们是为了什么而活着的呢?正是因为认为即使自己死了,地球和宇宙也会继续存在下去,人们才能安心地作为人类的一员死去。可是,现在照老师的说法,我们出生在这世上、所谓人类这种东西、所谓宇宙这种东西,不就毫无意义了吗?真的,我究竟是为了什么才出生的?从那以后的一段时间里,他——十一岁的三造,变得像神经衰弱了一样。无论是对父亲,还是对亲戚中年长的高年级学生,他都一脸严肃地询问过这件事。结果他们虽然都在笑,但在理论上,大体都是承认这一点的。为什么他们就不觉得害怕呢?怎么还能笑得出来呢?说着“五千年或一万年内那种事是不会发生的啦”之类的话,他们怎么就能安心呢?三造觉得不可思议。对他来说,这不仅仅是他一个人的生死问题。这是对人类和宇宙的信任问题。所以,哪怕是几万年以后的事,他也无法一笑置之。那时候他很疼爱一只狗。他常常在钻进被窝后想象:假设自己遭遇地球冷却的时刻,最后要在结满冰的大地上挖个坑,和那只狗一起钻进去相拥而死。这么一想,恐惧就会奇妙地消失,只剩下对小狗的怜爱和它体温的温馨回忆。但大多数时候,晚上就寝后他闭上眼睛,想象着人类灭绝后、毫无意义、一片漆黑、无限延伸的时间长河,就会被无法忍受的恐惧攫住,以至于常常大叫一声跳起来。为此他不知被父亲训斥过多少次。晚上走在有电车行驶的街道上,这种恐惧也会突然袭来。于是,刚才还能听见的电车轰鸣声也听不见了,擦肩而过的人群也视而不见了,只觉得在死寂的世界中心,只剩下自己孤零零的一个人。那时,他踩着的大地,不再是往常平坦的地面,而是人们死绝了的、冷却透顶的圆形行星的表面。这个体弱多病、发育不良、神经衰弱的十一岁少年,脑海里盘旋着“一切都会灭亡、一切都会变冷、一切都毫无意义”的念头,真的感到一种冒出冷汗的恐惧,只能在那里呆立半晌。就在这时,他猛地回过神来,发现周围依然人来人往,电灯通明,电车在开,汽车在跑。啊,太好了,他长舒了一口气。这就是常态。(注1)(注2)
【日】 子供の時に中毒あたったことのある食物が一生嫌いになってしまうように、このような・人類や我々の遊星への単純な不信が、もはや観念としてではなく、感覚として、彼の肉体の中に住みついてしまったのではないか、と三造は思う。今でも、空気の湿った午後の昼寝から覚めた瞬間など、どうにもならない・訳の分らない・恐ろしさ、あじきなさに襲われる。そういう時、彼はいつも昔のひねこびた小学生の恐怖を思い出さずにはいられない。概念の青臭い殻が実生活の錯綜の中に多少は脱ぎ棄てられた(と思われた)後も、なお、かつての不安の気持だけが、それだけ切離されていつまでも残っている。南米の駱馬ファナコは太古、地球の氷河時代に、危険に襲われた時も其処だけは安全な或る避難所をもっていた。地球が今の世代になって彼らを襲う危険の性質も異ことなって来、かつての避難所ももはや意味をもたなくなったにもかかわらず、現在新大陸にいる駱馬は、死や危険の予覚を得た際には、皆必ず昔の彼らの祖先の避難所のあった場所を指して逃れようとするという。三造の不安もあるいはこうした類の前代の残存物かも知れぬ。しかし、このどうにもならぬ漠然とした不安が、往々にして彼の生活の主調低音グルンド・バスになりかねない。人生のあらゆる事象の底にはこの目に見えぬ暗い流れが走り、それが生の行手を、前後左右を劃かぎっていて、街の下を流れる下水の如くに、時々ほんのちょっとした隙から微かすかな虚むなしい響を聞かせるように三造には思われた。彼がまだ多少は健康で、肉体的な感覚に酔っていた時でも、今のような消極的な独り居の生活を営んでいる時でも、常に、この底流の小さな響がパスカル風な伴奏となって、何処からともなく聞えていたのである。これがほんの僅かでも聞えて来る限り、あらゆる幸福も名誉も制限付きの名誉・幸福でしかない。
【中】 就像小时候食物中毒过一次便会一辈子讨厌那种食物一样,三造觉得,这种对人类和我们这颗行星的单纯的不信任,不再仅仅是观念,而是作为一种感觉,栖居在他的肉体之中了。直到现在,当他在空气潮湿的午睡中醒来的瞬间,仍会被一种无可奈何的、莫名其妙的恐怖和空虚所袭击。每当这时,他总是忍不住想起过去那个发育不良的小学生的恐惧。在概念那稚嫩的外壳于实际生活的错综复杂中多少被褪去(或自以为褪去)之后,唯独那曾经的不安情绪被剥离出来,永远残留着。南美的原驼在远古地球的冰河时期,有一种即使遭遇危险也唯独那里绝对安全的避难所。尽管到了如今的地质年代,袭击它们的危险性质已经改变,曾经的避难所也不再有意义,但现在新大陆上的原驼在预感到死亡或危险时,据说依然必定会朝着它们祖先过去避难所所在的地方逃跑。三造的不安,或许也是这类前代残留物吧。然而,这种无可奈何的漠然不安,往往会成为他生活的主调低音(Grundbass)。三造觉得,人生的各种现象底下都流淌着这道看不见的暗流,它划定了生命的去向,限制了前后的左右,就像城市地下流淌的下水道一样,时不时地从极小的缝隙中传来微弱而空虚的回响。无论是在他多少还算健康、沉醉于肉体感官的时候,还是像现在这样过着消极独居生活的时候,这底流的微小回响总是如帕斯卡式的伴奏一般,不知从何处传来。只要这回响还能听到哪怕一点点,那么所有的幸福和荣誉,也就只不过是有限制的荣誉和幸福罢了。
【日】 全く、この響を意識しまいとして、どんなに彼は努力したことであろう。心にもない説教を何度彼は自分に向って言い聞かせたことだろう。
「俺たちは最上の食物でなければ喰べないだろうか? 最上の衣服でなければ身に著けないだろうか? 最上の遊星でなければ棲すむに堪えぬと思うほどに俺たちが贅沢でないならば、今俺たちに与えられているものの中からも結構いい所が発見出来るのではないか……」云々うんぬん。
「簡単なオプティミズムへの途を教えてやろう。天才と才無き者、健康者と虚弱者、富豪と貧民との差といえども、生れて来た者と生を与えられざりし者との差には、比ぶべくもないではないか、という考え方はどうだ。」云々。
「この世において立派な生活を完全に生き切れば、神は次の世界を約束すべき義務を有もつ、と言った素晴らしい男を見るがいい。」……云々。
「汝は幸福ならざるべからずと誰が決めたか? 一切は、幸福への意志の廃棄と共に、始まるのだ。」云々。
その他、ジイドの『地の糧』だの、チェスタアトンの楽天的エッセイなどが、何と弱々しい声々で彼を説得しようとしたことだろう。しかし、彼は、他人から教えられたり強いられたりしたのでない・自分自身の・心から納得の行く・「実在に対する評価」が有もちたかったのだ。曲りくねった論理を辿って見て、はて、俺の存在は幸福なのだぞ、と、自分を説得して見ねばならぬ幸福などでは仕方がなかったのだ。
【中】 真的,为了不去意识到这种回响,他是多么地努力啊。他不知对自己说了多少次违心的说教。
“我们难道不是最好的食物就不吃吗?不是最好的衣服就不穿吗?只要我们还没有奢侈到认为不是最好的行星就不值得居住的程度,那么在现在赋予给我们的东西里,难道就不能发现相当不错的地方吗……”云云。
“我来教你通往简单乐观主义的途径吧。且不说天才与平庸之辈、健康者与虚弱者、富豪与贫民之间的差距,单是‘已经出生的人与未能被赋予生命的人之间的差距,是无法比拟的’这种想法,你觉得如何?”云云。
“去看看那个宣称‘只要在这个世界上完美地过好体面的生活,神就有义务保证下一个世界’的了不起的男人吧。”……云云。
“是谁规定你非得幸福不可?一切都伴随着对幸福意志的放弃而开始。”云云。
此外,纪德的《地粮》、切斯特顿的乐观主义随笔等,也试图用何等微弱的声音来说服他。然而,他想要的,不是别人教导或强加的,而是属于自己的、打心底里信服的对“实存的评价”。通过追寻曲折的逻辑,然后得出“啊,我的存在原来是幸福的啊”,像这种非得说服自己才能获得的幸福,是毫无意义的。
【日】 時としてごく稀に、歓ばしい昂揚された瞬間が無いでもなかった。生とは、黒洞々たる無限の時間と空間との間を劈つんざいて奔はしる閃光と思われ、周囲の闇が暗ければ暗いだけ、また閃ひらめく瞬間が短かければ短かいだけ、その光の美しさ・貴さは加わるのだ、と真実そのように信じられることも、時としてある。しかし、変転しやすい彼の気持は次の瞬間にはたちまち苦い幻滅の底に落ち込み、ふだんより一層惨めなあじきなさの中に自みずからを見出すのが常である。だから、しまいには、そうした精神の昂揚の最中もなかに在ってすら、後の幻滅の苦々しさを警戒して、現在の快い歓びをも抑え殺そうと力つとめるようにさえなったのだ。
【中】 偶尔也有极少数令人欢欣鼓舞的亢奋瞬间。生命仿佛是一道劈开黑洞洞的无限时间和空间的闪电,周围的黑暗越深,闪烁的瞬间越短,那光芒的美丽和尊贵就越发增加——有时他真的能如此确信。然而,他善变的心情在下一个瞬间便会立刻跌入苦涩幻灭的谷底,常常发现自己陷入了比平时更加悲惨的空虚之中。因此,到最后,即使在精神处于亢奋的最高点时,为了警惕之后的苦涩幻灭,他甚至会努力地压抑和扼杀当下的愉悦。
【日】 ところで、今、河岸に沿うて歩きながら、珍しくも、三造の中にいる貧弱な常識家が、彼自身のこうした馬鹿馬鹿しい非常識を哂わらい、警いましめている。「冗談じゃない。いい年をして、まだそんな下らない事を考えているのか。もっと重大な、もっと直接な問題が沢山あるじゃないか。何という非現実的な・取るに足らぬ・贅沢な愚かさに耽ふけっているのだ。それは既に人々が夙とうの昔に卒業してしまった事柄――あるいは余り馬鹿げ切っているので、てんで初めから相手にしない事柄の一つではないか? 少しは恥ずかしく思うがいい。」「本当に人々はもはやこの問題を卒業しているのだろうか?」と彼の中にいる、もう一人が反問する。
【中】 不过,此刻一边沿着河岸走着,三造内心中那个贫弱的“常识家”难得地开始嘲笑并警告他自己这种荒谬的“非常识”:“别开玩笑了。都多大岁数了,还在想那种无聊的事情?不是还有更多重大、更直接的问题吗?你究竟沉溺于多么不切实际、微不足道且奢侈的愚蠢之中啊。那不是人们早早就在很久以前毕业了的问题——又或者是太荒唐了、从一开始就根本不予理会的问题之一吗?你多少也该感到羞耻吧。”“人们真的已经从这个问题中毕业了吗?”他心中的另一个自己反问道。
【日】 「全然解決の見込のない問題を頭から相手にしないという一般の習慣はすこぶる都合の良いものだ。この習慣の恩恵に浴している人たちは仕合せである。全くの所、多くの人はこんな馬鹿げた不安や疑惑を感じはしない。それならばこうしたことを常に感ずるような人間は不具なのかも知れぬ。跛者が跛足を隠すように俺もまたこの精神的異常を隠すべきだろうか? ところで、一体、その正常とか異常とか真実とか虚偽とかいう奴は、何だ? 畢竟ひっきょう、統計上の問題に過ぎんじゃないか。いや、そんな事はどうでもいい。何より大事なことは、俺の性情にとって、幾ら他人ひとに嗤わらわれようと、こうした一種の形而上学的といっていいような不安が他のあらゆる問題に先行するという事実だ。こればかりは、どうにも仕方がない。この点について釈然としない限り、俺にとって、あらゆる人間界の現象は制限付きの意味しか有もたないのだから。ところで、これについて古来提出された幾多の解答は、結局この解疑が不可能だということを余りにも明らかに証明している。して見れば、俺の魂の安静のための唯一の必要事は、『形而上学的迷蒙の形而上学的放棄』だということになる。それは俺も知り過ぎるほど知っている。それでも、どうにもならないのだ。俺がこうした莫迦ばかげた事柄への貪婪どんらんを以て(しかも哲学者的な冷徹な思索を欠いて)生れて来ているということこそ、唯一のかけがえの無い所与なのだ。結局各人は各様にその素質を展開するより外に手はない。幼稚だといって嗤わらわれることを気にしたり、自分に向って自己弁護をしたりすることの方がよほどおかしいのだ。女や酒に身を持ち崩す男があるように、形而上的貪慾どんよくのために身を亡ぼす男もあろうではないか。女に迷って一生を棒にふる男と比べて数の上では比較にはなるまいが、認識論の入口で躓つまずいて動きが取れなくなってしまう男も、確かにあるのだ。前者は欣よろこんで文学の素材とされるのに、何故後者は文学に取上げられないのか。異常だからだろうか。しかし、異常者カサノヴァはあれほどに読者を有もっているではないか。」
【中】 “这种一上来就不理会完全没有解决希望的问题的大众习惯,实在是非常方便。能够沐浴在这种习惯恩惠下的人们是幸福的。坦白说,大多数人根本不会感到这种荒谬的不安和疑惑。如果真是这样,总是感觉到这种事的人也许就是个残疾人。就像跛子掩盖跛脚一样,我是不是也应该掩盖这种精神异常呢?话说回来,所谓正常与异常、真实与虚假,到底是什么?归根结底,不就是个统计学上的问题吗。不,这些都无所谓。最重要的是,对于我的性情来说,无论别人怎么嘲笑,这种可以说是形而上学的不安总是先于一切其他问题存在,这是一个事实。唯独这一点,我无可奈何。只要在这个问题上不能释怀,对我来说,所有人类社会的现象就只具有有限制意义。顺便说一句,古往今来对这个问题提出的无数解答,其实过于明显地证明了这种释疑是不可能的。这么看来,为了我灵魂的安宁,唯一必要的事情就是‘形而上学迷蒙的形而上学式放弃’。这一点我实在是太清楚了。但即便如此,还是无可奈何。我带着对这种愚蠢事物的贪婪(而且缺乏哲学家般冷静的思索)降生于世,这才是唯一不可替代的与生俱来的天赋。结果每个人除了各自按照自己的素质去发展外,别无他法。去在意被人嘲笑为幼稚,或是向自己进行自我辩护,反倒才更加奇怪。就像有人沉迷女色和酒精而堕落一样,不也会有为了形而上学的贪欲而毁灭自己的男人吗?与迷恋女人而毁掉一生的男人相比,在数量上固然无法相提并论,但在认识论的入口处跌倒而动弹不得的男人,也确实是存在的。前者被欣然作为文学的素材,为什么后者却不被文学所采纳呢?是因为异常吗?可是,异常者卡萨诺瓦不也拥有那么多的读者吗?”
【日】 しどろもどろの自己弁護の中に、ふと、彼はデュウラアの「メランコリヤ」という版画を――混乱の中に茫然と坐った天使の絶望を思い浮べた。既に四辺あたりは暗く、山手の教会堂の影も見分けが付かない。彼の歩いて行くすぐ傍を、和船が一艘、音も無く後から追抜いて行く。船尾の燈火が水に尾を曳ひき、船は滑るように橋の下を左へ曲って行く。その動きに誘われるように、彼の考えの糸も、思わぬ脇道に外それ始める。
「畢竟、俺は俺の愚かさに殉ずる外に途は無いじゃないか。凡てが言われ、考えられた後に結局、人は己が性情の指さす所に従うのだ。その論議・思考と無関係に、である。そして爾後じごの努力は、凡て、その性情の為なした選択へのジャスティフィケイションにのみ注がれるであろう。考えようによれば、古往今来のあらゆる思想とは、各思想家がそれぞれ自己の性情に向って為したジャスティフィケイションに外ならぬではないか。……」
【中】 在这语无伦次的自我辩解中,他突然想起了丢勒的一幅名为《忧郁》的版画——那个在混乱中茫然呆坐的天使的绝望。四周已是一片漆黑,连山手教堂的影子也无法分辨。就在他走过的近旁,一艘和船悄无声息地从后面超了过去。船尾的灯火在水面上拖出长长的尾迹,船像滑行般在桥下向左转去。仿佛被那动作所吸引,他思绪的线头也开始偏向意想不到的岔路。
“说到底,除了为我的愚蠢殉道之外别无他路,不是吗?在所有的话都说尽、所有的思考都穷极之后,人最终还是会听从自己性情所指引的方向。这与那些论战和思考毫无关系。此后的所有努力,都将仅仅倾注于对性情所做选择的‘正当化’(Justification)上。换个角度想,古往今来的所有思想,无外乎是各位思想家各自针对自身性情所作出的正当化辩护罢了。……”
【日】 (註1) このひねこびた憐れな少年は、その後二つの異った希求に烈しく悩まされた。「あらゆる事柄(あるいは第一原理)を知り尽くしたい」という慾望と、「出来る限り多くの事物が(あるいはその事物の原因が)自分の理解を絶した彼方にあればいい」という前のとはまるで反対の奇体な願望とであった。前者は誰にでもある・成人おとなの言葉でいえば「自己を神にしたい」慾望だったが、後者は「この世界を絶対信頼に値する・確乎たるものと信じたい」という・その逆の――つまり、この世界の不確かさ・哀れさに対する恐怖から生れた強い希求だった。「自分のようなチッポケな存在から凡てが理解されてしまうような世界では、その中に棲すむことが何としても不安だ。自分などにはその一端すら理解できないような・大きな・確乎たる存在に身を任せたい」という・小さい者の恐怖から生れた・棄鉢すてばち的な強い願望だった。こうした願いにもかかわらず、彼は成長するにつれ、第一の望の実現はもとより、それより更に強い第二のそれの実現もまた望のないものであることをはっきりと――余りにも恐ろしくはっきりと知らされて来た。世界も、人間の営みも、この少年の望むほど、しかく確乎たるものではない。それは小学校の先生に聞かされた世界滅亡説を熱力学の第二法則という言葉に置換えて見ても同じことだし、そうした単純な科学による世界考察を無視した・全然別の側からの世界評価によってもまた同じことだと彼には思われた。即ち、頭の中だけで造り上げられた少年の虚無観に、今や、実際の身辺の観察から来た直接な無常観が加わって来たのだ。麾下きか数万の軍勢を見渡しながら、百年後にはこの中の一人も生残っていないであろうことを考えて涕泣ていきゅうしたというペルシャの王様のように、この少年は、今や、自己の周囲の凡てに「限られたるもののしるし」を認めて胸をさされるのであった。物についてばかりではない。とりわけ、どのようなまことの愛情でも、それが他の極めて詰まらないものと同様に果敢はかなく消えて行くことに、彼は身を焼かれるような烈しい悲しさ寂しさを感じた。――(更に何年か経って、今度は、反対に、どのような愚劣醜陋しゅうろうな事柄でも、崇高な事物と同様に、存在の権利を有ち、何らの醜い酬をも受けずに、美しいものと少しも変りなく、その存在を終えて行くことに、心の冷え行くようなむごたらしい感動を覚えたのだが。)――
【中】 (注1)这个发育不良的可怜少年,在那之后被两种截然不同的希求所强烈折磨。一种是“想要穷尽一切事物(或第一原理)”的欲望,另一种则是“希望尽可能多的事物(或其原因)存在于超越自己理解的彼岸”这种与前者完全相反的奇异愿望。前者是任何人都有的、用成人的话来说就是“想让自己成为神”的欲望;而后者则是“希望相信这个世界是值得绝对信赖的、坚如磐石的”这相反的愿望——换言之,这是出于对这个世界的不确定性和悲哀的恐惧而产生的强烈希求。“在一个连像我这样渺小的存在都能理解一切的世界里栖息,无论如何都让人不安。我想把自己托付给那种我连冰山一角都无法理解的、庞大而确凿的存在”——这是一种出于弱小者的恐惧而产生的、破罐子破摔般的强烈愿望。尽管有这样的愿望,但随着他的成长,他越来越清晰地——甚至是过于可怕地清晰地认识到,第一种愿望的实现自不必说,就连比那更强烈的第二种愿望的实现也是无望的。世界也好,人类的营生也好,并不像这个少年所期望的那样坚如磐石。即使把小学老师讲的“世界灭亡说”置换成“热力学第二定律”,结果也是一样的;而无视这种基于单纯科学的世界考察,从完全不同的角度去对世界进行评价,他觉得结果依然如故。也就是说,在仅仅依靠头脑构建出的少年的虚无观之上,如今又加上了从对身边实际观察中得来的直接的无常观。就像那位俯瞰麾下数万大军,想到一百年后这些人中将无一人生还而流涕哭泣的波斯国王一样,这个少年,如今在自己周围的一切事物上认出了“有限之物的烙印”,并因此感到痛心。不仅是对物。尤其是,无论多么真挚的爱情,也如同其他极其无聊的事物一样会虚幻地消逝,这让他感到一种如烈火焚身般的悲伤与寂寞。——(再过了几年,情况反了过来,无论多么愚劣丑陋的事物,都与崇高的事物一样,拥有存在的权利,不会受到任何丑陋的报应,也与美好的事物毫无二致地结束其存在,这让他感到一种令心底发凉的残酷感动。)——
【日】 (註2) 不思議なことに、小学生の頃の彼は、全体的な人類の滅亡などという考えにばかり紛れて、個人としての自分の死というものについては、それほど直接な惧おそれを感じなかった。それを感ずるようになったのは大分後のこと――中学生になってからのことだ。中学に入ってから目立って身体の弱くなった彼は、就寝後、眼をとじては、「死というもの」を――抽象的な死の概念ではなく、病弱な自分に遠からず訪れてくるに違いない、(本当にその頃彼は寿命の短いに違いないことを確信していた)直接的な死を考えた。自分の臨終の時の気持を考え、その瞬間から振返って見て感じるであろう・一生の時の短かさの感じ(それは二十年でも二百年でも同じ短かさに決っている)を彼は想像して見る。ああ、本統に、なんて短いんだろうと、誇示的にではなく、全くしみじみと、心からの頼り無さを以て、そう考えられるに違いない。自分も世俗の人々と同じく、その瞬間までは、無我夢中で、大きなものの中における自分の位置などは全然悟らずに、あくせくと世事に心を煩わして過ごし、(いや、その途中で、一度か二度位は、雑鬧ざっとうの中で立止って思索する男のように、ひょいと自己の真の位置に気付くこともあるかも知れない。)さてその最後の瞬間に至って、始めてハッとするのだろう。ハッとして、さて、それから、どうなるのだ?……そんな事をあても無く想像して見るだけで、真正面からこれについて考える気力が無く、大掃除を一日延ばしにして怠けている安逸さで、一日一日、それとの直面を惧れ避けているのであった。(それでいて、彼は、「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」などと言った男を憎んだ。「いまだ死を知らず。いずくんぞ生を知らん」と感ずるような素質を享うけた人間だってあるんだ、と考えたのである。)いわば、ちょうど小説を読む時に、途中の哀れな事件――主人公がいじめられたりするような――などは読むに堪えず、ドンドン飛ばして先を読もう、結末を知ろうとして、書物の終りの方の頁を繰って見る根気の無い読者のように、――そういう人々にとっては、経過とか経路とかいうものは、どうでもよい。ただ、結果だけが必要なのだが――彼もまた、途中の一切の思索とか試錬とか、そういうものを抜きにして――そんなものには、とても堪えられない。そんなものに真正面からぶつかって行く勇気も根気も無い――ただ結局の所、ぎりぎり結著けっちゃくの所だけを聞きたいと思うのであった。(誰に? 神に?)「一体私たちの魂は不滅なものですか? それとも、肉体と共に滅びてしまうものですか?」不滅だという答を得たところで救われるとは思わないが、(というより、死を厭う気持の中には、自我の滅亡への恐れということの外に、現在の我の存在形式への愛着が大いに含まれていると思われたが、それをはっきり見定めることは彼には出来なかった)何としても「我」が失くなるなどということは堪らないし、それに、(これは第二次的なことだが)人間の誰もが、こんな恐怖を味わわねばならぬように出来ていることが何としても不都合に思えたのである。「永遠に生きることの恐ろしさ」? それはまた、別の話だ。俺たちは今そんな事を考える必要はない。それに、それはいわば、金の使い途みちに頭を悩ます金満家の贅沢ぜいたくではないか、と当時の三造は、そんな風に思った。
【中】 (注2)不可思议的是,在小学的时候,他总是一心扑在“全体人类的灭亡”这种念头上,对于作为个人的“自己的死亡”,反而没有感到多么直接的恐惧。开始感到这种恐惧是后来的事——到了中学以后。进入中学后身体明显变差的他,就寝后一闭上眼睛,就会思考“所谓死亡”——不是抽象的死亡概念,而是确信不久就会降临到体弱多病的自己身上的(真的,那时他深信自己肯定活不长)直接的死亡。他想象着自己临终时的心情,想象着从那个瞬间回首往事时所感受到的“一生时光之短暂”(可以肯定,不管是二十年还是二百年,其短暂的感觉是一样的)。啊,真的,该是多么短暂啊。他绝不是为了炫耀,而是完完全全地深有体会,带着打心底里的无助感,必然会这么想。自己也和世俗之人一样,直到那个瞬间为止,都是忘乎所以,完全没有觉悟到自己在庞大事物中的位置,为了世俗琐事忙碌烦心度日(不,也许在这中途,偶尔一两次,就像在喧嚣中停下脚步思索的男人一样,可能会突然意识到自己真正的位置)。然后到了最后那一刻,才会猛然惊醒吧。惊醒之后,接下来,又会怎样呢?……只是这样漫无目的地想象一下,他并没有气力去正面思考这个问题,就像把大扫除推迟一天以偷懒的安逸心态一样,一天又一天,他恐惧并回避着与它的直面相遇。(尽管如此,他却憎恶那个说过“未知生,焉知死”的男人。他认为:世上也会有生来就具有“未知死,焉知生”这种资质的人啊。)打个比方,就像读小说时,对于中间那些可怜的事件——比如主人公受到欺凌之类的——觉得惨不忍睹,于是飞快地跳过去想看后面,为了知道结局而去翻书本末尾几页的没耐心的读者一样——对这种人来说,过程或路径什么的都无所谓。他们只需要结果——他也一样,想跳过途中一切的思索和试炼——他实在是承受不了这些。没有正面迎击那些东西的勇气和毅力——他只想听到最终的、最极限的结局所在。(听谁说?听神说吗?)“到底我们的灵魂是不朽的吗?还是会和肉体一起毁灭呢?”就算得到了不朽的回答,他也不觉得自己能得救,(与其这么说,不如说,在厌恶死亡的心情中,除了对自我灭亡的恐惧之外,似乎还大大包含了对现在自我存在形式的留恋,但他无法清晰地看清这一点),但无论如何,“自我”的消失是绝对无法忍受的,而且(这是次要的),全人类都生来必须品尝这种恐惧,这让他觉得怎样都是极其不合理的。“永生不死的恐怖”?那又是另一回事了。我们现在没必要去想那种事。而且,那打个比方,不就是为钱的用途而头疼的富豪才有的奢侈烦恼吗——当时的三造就是这么想的。
二
【日】 ポケットを探って取出した部屋の合鍵が、掌にひやりとした感触を与えるほどの時候になっていた。
暗い部屋に入って電燈を点つけ、まず表に向った窓を明放って空気を換える。それから、隅に吊るした鸚鵡おうむの籠をのぞいて餌の有無を見てから、衣服も換えずに、ベッドの上に仰向けに、両手の掌を頭の下に組合せて、ひっくりかえる。
【中】 季节已到了摸索口袋掏出的房间备用钥匙在手掌中会带来一丝冰凉触感的时节。
走进昏暗的房间打开电灯,首先推开临街的窗户换换空气。然后探头看了看挂在角落里的鹦鹉笼子,检查了一下有没有饵料,接着连衣服也没换,便仰面朝天躺在床上,双手交叉枕在头下,整个人瘫倒下来。
【日】 そう疲れるはずはないのに、ひどく疲れたような感じである。今日一日、何をしたか? 何もしはしない。朝遅く起き、朝昼兼帯の食事を階下の食堂で済ませてから、読みたくもない本を無理に辞書と首っぴきで十頁ほど読み、それに倦むと、親戚の子供の死んだのにくやみの手紙を出さなければならないことを思い出して、書こうとしたが、どうしても書けない。結局手紙はよして、表に飛出し、街へ行って映画館に入り、そうして帰って来ただけのことだ。何という下らない一日! 明日あしたは? 明日は金曜と。勤めのある日だ。そう思うと、かえって何か助かったような気になるのが、自分でも忌々いまいましかった。
【中】 明明不该这么累,却感觉异常疲惫。今天一天,到底做了什么?什么也没做。早上起得很晚,在楼下的食堂吃了一顿早中饭,然后硬逼着自己翻着字典勉强读了大约十页根本不想读的书。读厌了,想起亲戚家小孩死了,必须写封吊唁信寄去,便试着去写,可怎么也写不出来。结果信也不写了,冲出家门跑到街上进了电影院,然后就这么回来了。多么无聊的一天啊!明天呢?明天是星期五。是有工作的日子。一想到这里,反而有种像得救了似的感觉,连他自己都觉得可恨。
【日】 時勢に適応するには余りにのろまな・人と交際するには余りに臆病な・一介の貧書生。職業からいえば、一週二日出勤の・女学校の博物の講師。授業に余り熱心でもなく、さりとて、特に怠惰という訳でもない。教えることよりも、少女たちに接して、これに「心優しき軽蔑」を感じることに興味をもち、そうして秘かにスピノザに倣って、女学生の性行についての犬儒的シニックな定理とその系とを集めた幾何学書を作ろうか、などと考えている。(例えば、定理十八。女学生は公平を最も忌み嫌うものなり。証明。彼女らは常に己おのれに有利なる不公平のみを愛すればなり。の如き。)結局、学校へ出る二日は自分の生活の中で余り重要なものでないと、この男は思い込みたがっているのだが、この頃では、それがなかなかそうではなく、時として、学校が、というよりも、少女たちが、自分の生活の中にかなり大きい場所を占めているらしいことに気付いて愕然とすることがある。
【中】 这是一个适应时势太迟钝、与人交往太胆怯的一介穷书生。从职业上来说,是每周出勤两天的一所女校的博物课讲师。对讲课谈不上多热心,但也不至于特别怠惰。比起教书,他更对接触少女们并从她们身上感受到“温和的轻蔑”感兴趣,甚至暗想效仿斯宾诺莎,编写一本汇集了关于女学生性情的犬儒主义定理及推论的几何学书。(例如,定理十八。女学生最厌恶公平。证明。因为她们只热爱对自己有利的不公平。诸如此类。)归根结底,这个男人总想让自己相信:去学校的那两天在自己的生活中并不重要。然而最近,情况似乎并非如此。有时他会猛然发觉,与其说是学校,不如说是少女们,在自己的生活中似乎占据了相当大的位置,这让他感到愕然。
【日】 学校を卒業して二年目、父の死によって全く係累のなくなった三造が、その時残された若干の資産を基もとに爾後じごの生活の設計を立てた。その設計に従ってその時自分がヌクヌクともぐり込もうとした坑あなの、何と、うじうじと、ふやけた、浅間しくもだらしないものだったか。今の三造には腹が立って腹が立って堪らないのである。
【中】 毕业后的第二年,随着父亲的去世,变得完全没有了家累牵绊的三造,以当时留下的若干资产为基础,为日后的生活作了规划。按照那个规划,当时自己试图暖洋洋地钻进去的那个安乐窝,是何等的优柔寡断、浮肿糜烂、卑鄙而散漫啊。对于现在的三造来说,真是气得无法忍受。
【日】 その時、彼は自分に可能な道として二つの生き方を考えた。一つはいわゆる、出世――名声地位を得ることを一生の目的として奮闘する生き方である。もとより、実業家とか政治家とか、そういうものは、三造自身の性質からも、また彼の修めた学問の種類からいっても、問題にならない。結局は、学問の世界における名誉の獲得ということなのだが、それにしても、将来の或る目的(それに到達しない中に自分は死んでしまうかも知れない)のために、現在の一日一日の生活を犠牲にする生き方である点に、変りはない。もう一つの方は、名声の獲得とか仕事の成就とかいう事をまるで考えないで、一日一日の生活を、その時その時に充ち足りたものにして行こうという遣り方、但し、その黴かびの生えそうなほど陳腐な欧羅巴出来の享受主義に、若干の東洋文人風な拗すねた侘わびしさを加味した・極めて(今から考えれば)うじうじといじけた活いき方である。
【中】 那时,他设想了自己可能的两条人生道路。一条是所谓的出人头地——以获得名声地位为一生的目的去奋斗的生活方式。固然,像实业家或政治家之类的,无论从三造自身的性情还是他所修习的学问种类来看,都是不可能的。所以归根结底,就是指在学术界获得荣誉。但即便如此,这依然是一种为了将来的某个目的(可能在达到目的之前自己就已经死掉了),而牺牲目前每一天生活的生活方式。另一条路,则是完全不考虑获得名声或成就事业,只想让每一天的生活在当下过得充实愉快的方式,只是,在那似乎快要发霉的、陈腐不堪的欧洲舶来品的享受主义上,再加上一点东方文人式的乖僻与凄凉——这是一种(现在想来)极其优柔寡断又畏缩不前的生活方式。
【日】 さて、三造は第二の生活を選んだ。今にして思えば、これを選ばせたものは、畢竟彼の身体の弱さであったろう。喘息と胃弱と蓄膿とに絶えず苦しまされている彼の身体が、自らの生命の短いであろうことを知って、第一の生き方の苦しさを忌避したのであろう。今に至るまで治りようもない・彼の「臆病な自尊心」もまた、この途を選ばせたものの一つに違いない。人中に出ることをひどく恥ずかしがるくせに、自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖が、才能の不足を他人の前にも自みずからの前にも曝さらし出すかも知れない第一の生き方を自然に拒んだのでもあろう。とにかく、三造は第二の生き方を選んだ。そして、それから二年後の、今のこの生活はどうだ? この・乏しく飾られた独り住居の・秋の夜のあじきなさは? 壁に掛けられたあくどい色の複製どもも、今はもう見るのも厭だ。レコオド・ボックスにもベエトオベンの晩年のクヮルテットだけは揃えてあるのだが、今更かけて見よう気もしない。小笠原の旅から持帰った大海亀の甲羅ももはや旅への誘いを囁ささやかない。壁際の書棚には、彼の修めた学課とは大分系統違いのヴォルテエルやモンテエニュが空しく薄埃をかぶって並んでいる。鸚鵡おうむや黄牡丹きぼたんいんこに餌をやるのさえ億劫おっくうだ。ベッドの上にひっくり返って三造はただ茫然としている。身体も心も心棒しんぼうが抜けてしまったような工合である。日々の生活の無内容さが彼の中に洞穴をあけてしまったのか。それは先刻記憶から喚起した・あの底無しの不安とは全然違う。腑抜けとなり、不安も苦痛も感じなくなったような麻痺状態である。
【中】 于是,三造选择了第二种生活方式。现在想来,促使他做出这种选择的,说到底还是他身体的虚弱吧。不断被哮喘、胃弱和蓄脓症折磨的身体,深知自己寿命的长短,因而避开了第一种生活方式的痛苦。直到现在也无法治愈的、他那“胆怯的自尊心”,无疑也是促使他选择这条路的因素之一。极其羞于在人前抛头露面,却又在自命清高这一点上绝不落于人后的性癖,自然而然地让他拒绝了那种可能会在他人和自己面前暴露才华不足的第一种生活方式。总之,三造选择了第二种生活。然后,两年后的今天,现在这种生活算是怎么回事?这布置贫乏的独居之所,在秋夜里是何等的空虚无聊?挂在墙上那些色彩俗艳的复制画,现在连看一眼都觉得厌烦。唱片匣里虽然也凑齐了贝多芬晚年的四重奏,但事到如今也没有想去放来听听的心情了。从小笠原群岛旅行带回来的大海龟的甲壳,也不再诉说对旅行的诱惑了。靠墙的书架上,排着与他所修学课系统大相径庭的伏尔泰和蒙田的著作,空虚地蒙着一层薄灰。连给鹦鹉和黄牡丹鹦鹉喂食都觉得嫌麻烦。仰卧在床上的三造只是茫然若失。身体和内心都像是被抽去了主心骨似的。难道是日常生活的空洞无物在他的内心凿出了一个窟窿?那与刚才从记忆中唤起的、那种无底的不安完全不同。这是一种变得怯懦、连不安和痛苦都感觉不到的麻痹状态。
【日】 ぼやけた彼の意識の隅に、しかし、明日出勤する学校の少女たちの雰囲気が、それだけが彼の仮死的な生活の中で、唯一の生きたものであるかのように、明るく浮上って来た。一人一人に見れば、醜くもあり卑しくもあり愚かでもある少女たちが自分の生活の中で触れ得る唯一の生きた存在なのか? 豊かであるようにと予定したはずの日々が何と乏しく虚むなしいことか。人間は竟ついに、執着し・狂い・求める対象がなくては生きて行けないのだろうか。やっぱり、自分も、世間が――喝采し、憎悪し、嫉視し、阿諛あゆする世間が、欲しいのだろうか。例えば、と彼は考えない訳に行かない。例えば、先週勤め先の学校で国漢の老教師が近作だという七言絶句を職員室の誰彼に朗読して聞かせていた時、父祖伝来の儒家に育った自分が冗談半分その韻をふんで咄嗟とっさに酬いて見せた。その巧拙よりも、方面違いの若い博物の教師がそんな事をして見せたものだから、老先生はすっかり驚いて、人の良さそうな大袈裟な身振で讃め上げてくれたのだが、全く、その時、自分は――尊大なるべき俺の自尊心は――何と卑小な喜びにくすぐられたことだろう! 実際、その老教師が讃めた言葉の一句一句をさえハッキリ記憶しているほど、喜ばされたのではなかったか。ワイニンゲルによれば、女は、一生の間に自分に向って言われた讃辞ほめことばをことごとく覚えているものだそうだが、どうやらこれは女ばかりに限らないようだ。そういえば、俺はここ何年何箇月かの間、自分に向って発せられた一つの讃辞をも聞かなかった。自分の飢えていたのは、こんな詰まらないものに対してだったのか。それでは、それほどちっぽけな虚栄心を充たしたがっているお前が、何故、こんな世間とかけ離れた生活を選んだのだ。オデュッセイアと、ルクレティウスと、毛詩鄭箋ていせんと、それさえ消化こなしかねるほどの・文字通りの「スモオル・ラティン・アンド・レス・グリイク」と、それだけで生活は足りると思っていた俺は、何という人間知らずだったことであろう! 杜樊川とはんせんもセザアル・フランクもスピノザも填めることのできない孔竅あなが、一つの讃辞、一つの阿諛によってたちまち充たされるという・人間的な余りに人間的な事実に、(そして、自分のような生来の迂拙うせつな書痴にもこの事実が適用されることに)三造は今更のように驚かされるのである。
【中】 然而,在他模糊意识的角落里,明天要去上班的学校里少女们的氛围,如同他这种假死般的生活中唯一鲜活的事物一样,明亮地浮现出来。单看每个人,既有丑陋的一面,也有卑劣和愚蠢的一面,难道这些少女就是我在生活中能触及到的唯一鲜活的存在吗?本该计划过得很充实的日子,竟是如此的贫乏和空虚!人类最终还是不能没有执着、痴狂和追求的对象而活下去吗?果然,自己也是渴望世俗的吗——那个会喝彩、憎恶、嫉妒、阿谀奉承的世俗。例如,他不得不这样去想。例如,上周在任职的学校里,当教国文古汉语的老教师在办公室里向众人朗读他说是最近创作的七言绝句时,在世代相传的儒家环境中长大的自己,半开玩笑地即兴步韵和了一首。撇开诗技的拙劣不谈,仅仅因为是一个跨领域的年轻博物学教师做出了这种事,老先生惊讶之余,带着善良人特有的夸张动作大加赞赏。可是,真的是在那个时候,我自己——那本该骄傲自大的自尊心——是被一种多么卑微的喜悦所撩拨了啊!事实上,我甚至把那位老教师赞美的话语一字一句都记得清清楚楚,这难道不是因为内心充满了喜悦吗?魏宁格曾说过,女人会记住一生中别人对她说过的一切赞美之词,看来这并非只局限于女人。这么说起来,在过去的几年几个月里,我甚至没有听到过一句对我的赞美。我一直所饥渴的,竟然是这么无聊的东西吗?既然如此,那么渴望满足如此微小虚荣心的你,为什么又会选择这种远离世俗的生活呢?以为仅凭《奥德赛》、卢克莱修和《毛诗郑笺》,再加上连消化它们都困难的、字面意义上的“略懂一点拉丁文、更不懂希腊文(Small Latin and less Greek)”,生活就足够了的我,究竟是多么不了解人情世故啊!杜樊川(杜牧)、塞扎尔·弗兰克(César Franck)、斯宾诺莎都填不满的内心的孔窍,竟被一句赞辞、一声阿谀瞬间填满,面对这“人性的,太人性的”事实(而且这个事实竟也适用于像自己这样生性迂腐的书呆子),三造仿佛直到现在才大吃一惊。
【日】 まだ寝るには早過ぎる。それに、どうせ床に入ったところで、いつものように二・三時間は眠れないに決っている。三造は何ということもなく、身を起して、ベッドの端に腰を下したまま、ぼんやり部屋の中うちを眺める。二・三日前、机の抽斗ひきだしを掻廻していたら、紙屑にまじって線香花火の袋が出て来た。夏の終に入れ忘れられたもので、まだ中に花火が少し残っていた。それをその時そのまま、また抽斗につっこんで置いたのを、今、彼はひょいと思い出した。彼は立上って抽斗からそれを取出す。花火を出して見ると、まだ、そんなに湿ってはいないらしい。彼は電燈を消して、マッチを擦する。暗闇に、細い・硬い・輝きのない・光の線が奔はしって、松葉が、紅葉もみじが、咲いて、すぐに、消える。火薬の匂が鼻に沁み、瞬間淀み切っていた彼の心は、季節外はずれの・この繊細な美しさにいささかの感動を覚えていた。余りにも惨めな・いじけた・侘びしい感動を。
【中】 现在睡觉还太早。再说,就算躺进被窝里,也肯定像往常一样两三个小时内睡不着。三造没什么来由地坐起身来,坐在床沿上,茫然地望着房间里。两三天前,在翻找书桌抽屉时,从废纸堆里翻出了一袋线香烟花。那是夏末时被遗忘塞进去的东西,里面还剩下几根烟花。当时他又原封不动地塞回了抽屉里,现在他突然想起了这件事。他站起身,从抽屉里把它拿出来。把烟花拿出来一看,似乎还没有怎么受潮。他关掉电灯,划了一根火柴。在黑暗中,一根细长的、僵硬的、毫无光泽的火线蔓延开来,接着松针、红叶般的火花绽放,随后立刻熄灭了。火药的味道刺入鼻腔,那一瞬间,他那死水一潭的心,竟然对这种不合时宜的纤细之美感到了一丝感动。一种太过凄惨的、萎缩的、凄凉的感动。
三
【日】 静かな博物標本室の中。アリゲエタアや大蝙蝠おおこうもりの剥製だの、かものはしの模型だのの間で三造は独り本を読んでいる。卓子の上には次の鉱物の時間に使う標本や道具類が雑然と並んでいる。アルコオル・ランプ、乳鉢、坩堝るつぼ、試験管、――うす碧あおい蛍石、橄攬石かんらんせき、白い半透明の重晶石や方解石、端正な等軸結晶を見せた柘榴石ざくろいし、結晶面をギラギラ光らせている黄銅鉱……余り明るくない部屋で、天井の明り窓から射してくる外光が、端正な結晶体どもの上に落ち、久しく使わなかった標本のうす埃をさえ浮かび上がらせている。それら無言の石どもの間に坐って、その美しい結晶や正しい劈開へきかいのあとを見ていると、何か冷たい・透徹した・声のない・自然の意志、自然の智慧に触れる思いがするのである。かなり騒々しい職員室から、三造はいつも、この冷たい石たちと死んだ動物植物たちの中へ逃れて来て、勝手な読書に耽ふけることにしていた。
【中】 安静的博物标本室里。在短吻鳄、大蝙蝠的标本以及鸭嘴兽的模型之间,三造正独自看书。桌子上杂乱地摆放着下节矿物课要用的标本和器具。酒精灯、研钵、坩埚、试管——淡蓝色的萤石、橄榄石、白色的半透明重晶石和方解石、展现出端正等轴结晶的石榴石、结晶面闪烁着耀眼光芒的黄铜矿……在这不太明亮的房间里,从天花板采光窗射进来的室外光线,落在那些端正的结晶体上,甚至让很久没用的标本上的一层薄灰也显得清晰可见。坐在那些沉默的石头中间,看着那些美丽的结晶和规整的解理痕迹,他感觉仿佛触碰到了某种冰冷的、透彻的、无声的自然意志和自然智慧。三造总是从那喧闹的教员办公室里逃离出来,躲进这些冰冷的石头和死去的动植物之间,沉迷于随心所欲的阅读中。
【日】 今彼の読んでいるのは、フランツ・カフカという男の「窖あな」という小説である。小説とはいったが、しかし、何という奇妙な小説であろう。その主人公の俺というのが、鼠もぐらか鼬いたちか、とにかくそういう類のものには違いないが、それが結局最後まで明らかにされてはいない。その俺が地下に、ありったけの智能を絞って自己の棲処すみか――窖を営む。想像され得る限りのあらゆる敵や災害に対して細心周到な注意が払われ安全が計られるのだが、しかもなお常に小心翼々として防備の不完全を惧おそれていなければならない。殊に俺を取囲む大きな「未知」の恐ろしさと、その前に立つ時の俺自身の無力さとが、俺を絶えざる脅迫観念に陥らせる。「俺が脅されているのは、外からの敵ばかりではない。大地の底にも敵がいるのだ。俺はその敵を見たことはないが、伝説いいつたえはそれについて語っており、俺も確かにその存在を信じる。彼らは土地の内部に深く棲むものである。伝説でさえも彼らの形状を画くことができない。彼らの犠牲に供せられるものたちも、ほとんど彼らを見ることなしに斃たおれるのだ。彼らは来る。彼らの爪の音を(その爪の音こそ彼らの本体なのだ)、君は、君の真下の大地の中に聞く。そしてその時には既に君は失われているのだ。自分の家にいるからとて安心している訳に行かない。むしろ、君は彼らの棲家にいるようなものだ。」ほとんど宿命論的な恐怖に俺は追込まれている。熱病患者を襲う夢魔のようなものが、この窖に棲む小動物の恐怖不安を通してもやもやと漂ただよっている。この作者はいつもこんな奇体な小説ばかり書く。読んで行くうちに、夢の中で正体の分らないもののために脅されているような気持がどうしても附纏つきまとってくるのである。
【中】 他现在正在读的是一个叫弗兰兹·卡夫卡的男人写的一篇名为《地洞》的小说。虽说是小说,但,这是何等奇妙的一部小说啊。小说的主人公“我”,是鼹鼠还是黄鼠狼呢,总之肯定是这类动物没错,但作者直到最后也没有明说。这个“我”在地下绞尽脑汁地营造自己的栖身之所——地洞。针对所有能想象到的敌人和灾害,它都付出了极其细心周到的防范以确保安全,但尽管如此,依然时刻小心翼翼地恐惧着防御的不完善。特别是包围着“我”的巨大“未知”的恐怖,以及站在它面前时“我”自身的无力感,使“我”陷入了不断挥之不去的胁迫观念之中。“我受到威胁的,不仅是来自外部的敌人。在大地的深处也有敌人。我从未见过那个敌人,但传说中提到过它,我也确实相信它的存在。它们深居于土地的内部。就连传说也无法描绘它们的形状。那些成为它们牺牲品的动物,几乎在没看见它们的情况下就倒下了。它们来了。你会在你正下方的大地深处,听到它们爪子的声音(那爪子的声音本身就是它们的本体)。而在那时,你已经没救了。别以为待在自己家里就可以安心。倒不如说,你就待在它们的巢穴里。”“我”被逼入了一种近乎宿命论的恐怖之中。一种像袭击热病患者的梦魇般的东西,透过这只栖息在地洞里的小动物的恐惧和不安,朦朦胧胧地漂浮着。这位作者总是写这种奇奇怪怪的小说。读着读着,总会让人产生一种仿佛在梦中被某种不知真面目的东西威胁着的感觉,怎么也挥之不去。
【日】 その時、入口の扉ドアにノックの音がして顔を出したのは、事務のM氏であった。はいって来ると、「手紙が来ていましたから」と言って卓子の上に封筒を置いた。事務所とこの標本室とではかなり隔たっているから、わざわざ持って来てくれたのは、話相手を求めに来たに違いない。年齢としは五十を越した・痩やせてはいないが丈の低い・しかし容貌は怪奇を極めた人物である。鼻が赤く、苺いちごのように点々と毛穴が見え、その鼻が顔の他の部分と何の連絡もなく突兀とっこつと顔の真中につき出しており、どんぐりまなこが深く陥おち込んだ上を、誠に太く黒い眉が余りにも眼とくっ附き過ぎて、匍はっている。厚く、黒人式にむくれ返った唇の周囲をチョビ髭ひげが囲んでいて、おまけに、染めた頭髪は(禿はげは何処どこにもないのだが)所によってその生え方に濃淡があり、一株ずつ他処よそから移植したような工合であって、またそれが短いくせに、お釈迦様のそれのようにひどくねじれ縮れているのだ。
【中】 这时,入口的门传来敲门声,探进脸来的是事务员M先生。他走进来,说着“有信给您”,把信封放在了桌子上。办公室和这间标本室隔得相当远,他特意送过来,肯定是来找人聊天的。这位先生年纪已过五十,人不算瘦但个子矮小,不过容貌却是极其怪异。红红的鼻子上,像草莓一样能看见点点毛孔,那个鼻子与脸部其他部位毫无联系地突兀地耸立在脸的正中央;深陷的像橡子般的圆眼睛上方,极其浓黑的粗眉毛贴得离眼睛太近,仿佛在上面爬行一样。厚厚的、像黑人般翻卷的嘴唇周围围着一圈小胡子;更离谱的是,他染过的头发(虽然哪儿也没秃)由于生长情况浓密不均,就像是一株一株从别处移植过来的一样,而且头发明明很短,却像释迦牟尼佛的头发那样严重地卷曲着。
【日】 職員室の誰もがこのM氏を馬鹿にしているようだった。この人の名前を口にのせるたびにニヤリと笑わない者はない。なるほど、性行なども愚鈍らしく、言葉でも「そうした、もので、しょうなあ、」などと一語一語ゆっくりと自分の今の発音を自分の耳で確かめてから次の発音をするように続けて行く。もう二十年もこの学校に勤めているらしいが、その勤続年数よりもその間に幾人かの細君に死なれたり、逃げられたりしたという事の方が有名である。それに、もう一つ、職員と生徒との区別なく、若い女と見れば誰でもすぐに手を握る癖のあることもみんなに知られている。別に悪気わるぎがあるという訳ではなく(悪気をもつほどの頭の働きはこの人に無いと、一般に信じられている。)ただもう、抑えることも何も出来ずに、ひょいと握ってしまうものらしい。幾度悲鳴を上げられたり、つねられたり、睨にらまれたりしても、一向感じないし、感じても次の時には忘れてしまうのかも知れない。よく、それで馘くびにならないものだが、あの御面相だから大丈夫なんでしょう、と笑う職員もいる。このM氏が、誰も相手になってくれるものが無いせいか、週に二日しか出て来ない三造をつかまえて、しきりに色々と話をしたがるのだ。私はフランス語をやります、というのだが、聞いて見ると、それがラジオの初等講義を一・二回聞いただけらしいのである。しかし本人は別に法螺ほらを吹くつもりで言っているのではなく、本当にそれでフランス語をやったといえるつもりなのである。この調子でM氏はドイツ語も漢詩も和歌も皆やるという。こういう話を聞きながら、三造は、M氏の鈍い眼付の中に何処か兇暴なものがあることに気のつくことがある。追い詰められた弱い者が突然攻勢に出て来る時のような自棄的なものがあるような気がするのである。
【中】 办公室里的每个人似乎都把这位M先生当傻瓜。每当提起这个人的名字时,没有人不露出一丝窃笑的。的确,他的性情也显得愚钝,连说话都是“大概,是这么回事,吧”这样,一个词一个词慢吞吞地,仿佛要用自己的耳朵确认一下当前的发音,然后再接着发下一个音。听说他已经在这所学校工作二十年了,但比起他的工龄,这期间他死了几个老婆、又跑了几个老婆的事迹反而更出名。此外,还有一件事大家也都知道,那就是他有个毛病,不分教员还是学生,只要看到年轻女人,不管是谁都会马上握住对方的手。倒也不是有什么恶意(大家普遍认为这人的脑瓜根本不够使,不足以产生恶意),只是似乎完全无法克制,就不由自主地握上去了。无论多少次被尖叫、被掐、被瞪,他都毫无感觉,或许感觉到了,转眼也就忘了。这种人竟然没被开除,真是奇迹,也有教员笑着说:“大概是因为长了那副尊容,所以才没关系的吧。”不知是因为没人理他,这位M先生就抓住了每周只来两天的三造,频繁地想找他闲聊。他说“我懂法语”,结果一听,原来只是听了一两次广播里的初级讲座而已。但本人并没有吹牛的意思,而是真真切切地认为那样就可以说自己懂法语了。顺着这个调子,M先生说他既懂德语,也懂汉诗,还会和歌。听着这样的话,三造有时会注意到,M先生那迟钝的眼神中,似乎隐隐潜藏着某种凶暴的东西。他感觉仿佛有一种像被逼入绝境的弱者突然发起攻势时的那种自暴自弃感。
【日】 手紙を渡しても、果して、M氏はなかなか帰る様子もなく、アリゲエタアの剥製の下に腰を下して、例のゆっくりした調子で話し始めた。その中に、どういうきっかけからか、話が彼の現在の(彼よりも二十歳も年下の)細君のことになり、彼は大真面目で自分と結婚する前の彼女の閲歴などを語り出した。これは少しヘンだぞ、と思っていると、M氏は手にした風呂敷包(今まで私は気づかずにいたのだが、それをわざわざ見せるためにM氏は私の処へ来たのだ)を開いて、中から分厚な一冊の本を取出して卓子の上に置いた。表紙を見ると、薄紫色の絹地に白い紙が貼られ、それに『日本名婦伝』と書かれている。
「家内のことがこれに載っています」とM氏はゆっくりゆっくり言ってから、嬉しそうににやりと笑った。
【中】 递完信后,果然,M先生也丝毫没有回去的意思,他在短吻鳄的标本下坐了下来,用他一贯慢吞吞的语调开始说起话来。不知怎么的话题一转,说起了他现在的(比他小二十岁的)妻子,他一本正经地开始讲述起她与自己结婚前的经历。这有点奇怪啊,三造正这么想着,M先生解开了手里的包袱皮(直到刚才三造都没注意到,M先生正是为了特意展示这东西才跑来找他的),从里面拿出了一本厚厚的书放在桌子上。一看封面,淡紫色的丝绸面上贴着白纸,上面写着《日本名妇传》。
“我内人的事就登在这上面。”M先生慢吞吞地说着,然后高兴地咧嘴笑了。
【日】 「?」三造は初め一向のみ込めなかったが、とにかくM氏の開けてくれた所――白樺の、女の子の喜びそうな栞しおりが挟んである――を見ると、なるほど、一頁が上下二段に分れていて、その上段にゴチックで彼の細君の名が記されている。それに続いて生年月日やら生処やら卒業の学校やらが書立てられ、さて、M氏に嫁するに及んで、貞淑にして内助の功少からず云々うんぬん……とあり、それから今度は奇妙なことに、一転して御亭主たるM氏自身の伝記に変って、彼の経歴から、資性温厚だとか、人以て聖人君子と為すとか、弔辞の中の文句に似た言葉が並んでいる。
【中】 “?”三造起初完全搞不明白是怎么回事,总之看了一下M先生翻开的那一页——里面还夹着一张女孩子会喜欢的白桦树书签——原来如此,一页分成了上下两段,上半段用黑体字印着他老婆的名字。紧接着列出出生年月日、籍贯、毕业学校等,然后写到嫁给M先生后,“贞淑贤良,内助之功甚伟”云云……接下来奇妙的事情发生了,画风一转,变成了作为丈夫的M先生本人的传记,从他的履历,到“天性温厚”、“人皆以之为圣人君子”之类的,净是些类似悼词里的句子。
【日】 やっと三造には凡すべてがのみこめて来た。一種の詐欺出版のようなものにM氏は掛けられたのだ。――つまり、『日本名婦伝』とかいう書物の中に貴下の奥さんの記事を載せたいから、などと煽おだて上げ、天下の愚夫愚婦から、相当な金額を絞り取り、下らぬ本を作ってはそれをまた高く売付けるという・話にも何にもならない・仕掛にかかったに違いないのである。しかもM氏は欺されたとは毛頭考えずに、得々として人ごとにこれを見せ廻っているらしい。それにこの文章は明らかにM氏自身の執筆である。
頁をめくって前の方を見ると、何と、紫式部、清少納言のたぐいがずらりと、やはりM夫人と同じ組方で、それぞれ一頁の半分ずつを占めて並んでいる。三造は目を上げてM氏を見た。三造の呆れた顔を感嘆の表情ととったものか、M氏は隠し切れない嬉しさを見せて鼻をうごめかしている。(彼が笑うと、黄色い歯が剥むき出され、それと共に、その赤い鼻が――誇張でも形容でもなく――文字通り、ヒクヒクとうごめくのである。)三造はすぐに目を俯ふせた。堪えられない気がした。喜劇? そうかも知れぬ。しかし、これはまた、何と、やり切れない人間喜劇ではないか。腔腸こうちょう動物的喜劇? 三造は棚の上の小さなカメレオンの模型に目を外らしながら、ぼんやり、そんな言葉を考えた。
【中】 三造终于全明白了。M先生是遇上了一种类似诈骗出版的勾当。——也就是说,骗子用“想把尊夫人的事迹刊登在《日本名妇传》这样的书里”之类的话进行吹捧,从天下的愚夫愚妇那里榨取了一笔相当可观的金额,然后印制这种破烂书籍并高价强卖。M先生无疑是中了这种连笑话都算不上的圈套。而且,M先生丝毫没觉得自己被骗了,似乎还很得意地逢人便拿出来展示。不仅如此,这篇文章显然是M先生自己代笔写的。
翻开前面的页面一看,竟然连紫式部、清少纳言之流也赫然在列,依然是与M夫人一样的排版方式,各自占据半页篇幅并列着。三造抬起眼睛看了看M先生。不知M先生是把三造那目瞪口呆的脸当成了感叹的表情还是怎么的,他难掩喜悦地抽动着鼻子。(他一笑,就露出了满口黄牙,与此同时,那个红鼻子也——毫不夸张也非比喻——字面意义上地一抽一抽地蠕动着。)三造立刻低下了眼睛。感觉无法忍受。喜剧吗?也许吧。但这同时又是何等令人无奈的人间喜剧啊。腔肠动物式的喜剧?三造移开视线,看着架子上小巧的变色龙模型,茫然地在脑海中浮现出这样的词语。
四
【日】 その夜M氏に誘われて、三造がおでん屋の暖簾のれんをくぐったのは、考えて見ると、誠に不思議な出来事であった。第一、M氏が酒をたしなむという事も初耳だったし、殊に外へ飲みに出るなどちょっと想像も出来ないところで、それに三造を誘うに至っては全く意外だった。M氏にして見れば、細君についての詳しい話をするほどに親しくなった(と、そう彼は思っているに違いない。)三造に、何かの形で好意を示さなければならないように感じたに違いない。誰にも相手にされない男が、たまに他人から真面目に扱われたと考え得た喜びが、彼を駆って、おでんや行ゆきなどという・彼としては破天荒な挙に出させたのであろう。M氏の誘に応じた三造の気持も、我ながら訳の判らぬものであった。持病の喘息のため酒はほとんど絶っているのだし、M氏のようなえたいの知れない人物と今まで真面目に話をしたこともなし、だからその晩M氏につき合ったのは、M氏ののろのろした薄気味の悪い・それでいて執拗な勧誘を断り切れなかったためというよりも、『名婦伝』で挑発された・この男への・意地の悪い好奇心のせいだったかも知れない。
【中】 那天晚上,三造受M先生之邀,挑开了一家关东煮店的暖帘,仔细想来,这真是一件不可思议的事。首先,M先生会喝酒这件事他还是头一回听说,特别是在外面喝酒更是让人有点难以想象,而且竟然还跑来邀请自己,实在大出意料。在M先生看来,一定是觉得与三造的关系已经亲密到了可以详细谈论老婆私事的地步(他肯定心里是这么认为的),必须以某种形式向三造表示好意。这个谁都不愿搭理的男人,因为偶尔被人当回事地对待而获得的喜悦,驱使着他做出了去关东煮店喝酒这种——对他来说算得上是破天荒的举动吧。而接受了M先生邀请的三造,其内心想法连他自己也觉得莫名其妙。由于哮喘的宿疾他几乎戒了酒,而且之前也从未和M先生这种来历不明的人物正儿八经地交谈过,所以那天晚上之所以陪M先生去,与其说是因为没能拒绝掉M先生那慢吞吞、令人不毛骨悚然却又执拗的邀请,倒不如说是因为被《名妇传》所挑起的、对这个男人的某种恶意的猎奇心理在作祟。
【日】 余り飲まない三造に、そう無理に勧めるでもなく、一人で盃を重ねる中に、M氏はその赤い鼻をますます赤くして脂を浮出させ、しかも絶えず黄色い歯を剥出むきだしてニヤニヤし続けている。そうして、例によってはっきりしない言葉でゆっくりゆっくりまだ細君の話を続けている。かなり際どい話を、実に素朴な表現で、縷々るるとして続ける。当人には別にそれが際どい話だという自覚はなく、ただもう話さずにはいられないで自おのずと話しているらしい。閨房中のことについて何か今の奥さんに遺憾な点があるのだといって、締りのない口付でそれを長々と述べ、「大変残念なことです」と叮寧ていねいな言葉で、第三者のことをいうような言い方をするのである。一体どういう了見でこんな話をするのか、と、三造はしばらく、まともにこの男の顔を見返して見たが、結局、とりとめのない・ぬらぬらしたような笑いに空むなしく突離つっぱなされるだけだった。こんな話を聞く時には一体どんなポーズを取り、どんな顔付をすればいいのか、三造はすっかり当惑して、てれくささを隠すために強いて盃を取上げるのである。
【中】 三造喝得不多,M先生也没有强行劝酒。他一个人不停地干杯,红鼻子变得越来越红,还泛出了油光,而且还不断地露出黄牙傻笑个不停。就这样,他又用一贯含糊不清的语调,慢吞吞地继续说着他老婆的事。明明是相当露骨的话题,他却用极其质朴的语言,滔滔不绝地讲述着。当事人自己并没有那是露骨话题的自觉,只是不吐不快,自然而然地说了出来。他用松垮垮的嘴型长篇大论地说着现在的老婆在房中之事上有什么让人遗憾的地方,然后又用像是在说第三者似的郑重其事的语气说:“真是非常遗憾。”这到底存的是什么心思非要说这种话?三造有一阵子直勾勾地盯着这个男人的脸看,但最终,也只是被那种毫无边际、黏糊糊般的笑容徒然地挡了回来。听到这种话的时候,到底该摆出怎样的姿态、怎样的表情才好呢?三造陷入了极度的困惑,为了掩饰尴尬,只好勉强端起酒杯。
【日】 気が付くと、三造の前の真白な瀬戸物皿の上に、いつの間に来たのか、それこそ眼の覚めるほど鮮やかな翠みどり色をしたすいっちょが一匹ちょこんと止って、静かに触角を動かしている。素直に伸びた翅はねの見事さ。白く強い電燈の光の下で、まことに皿までが染にじんでしまいそうな緑色である。その白と緑とを見詰めながら、三造はなおしばらくM氏の奥さんの話を聞いていた。
聞いている中に、いつもこの人間に対して感じる馬鹿馬鹿しさは消えてしまい、一種薄気味悪い恐ろしさと、へんな腹立たしさ(直接M氏に対する怒りではない。また、現在立たされている自分の位置の馬鹿らしさに腹が立つのとも少し違う。)との交った・妙な気持に襲われて来た。
【中】 回过神来,不知什么时候,三造面前雪白的瓷盘上,静静地停着一只翠绿得让人眼前一亮的纺织娘,正安静地挥动着触角。那平顺伸展的翅膀真是漂亮极了。在强烈白光的电灯下,那种绿色简直要把瓷盘都染透了似的。三造一边凝视着那白与绿,一边又听了一会儿M先生关于老婆的谈话。
听着听着,平时对这个男人感到的那种荒谬感消失了,取而代之袭来的是一种混杂着令人毛骨悚然的恐惧与莫名的愤怒(并非直接对M先生的愤怒。也不同于对自己目前所处位置之荒唐而感到的愤怒)的奇妙心情。
【日】 知らぬ間に三造もかなり飲んでいたようで、しばらくは相手の話も一向耳に入らなかったが、そのうちに何か話し方が違うらしいのにふと気がついて見ると、M氏は既に奥さんの話を止めて、「ある他の事柄」について語っている。ある他の事柄について、などといったのは、それが今までのM氏の話題とはまるで異ことなって、(もちろん初めは何の事やらさっぱり意味が解らなかったが、聞いて行く中に段々判って来た所によると、)全く驚いたことに一種の抽象的な感想――いわば、彼の人生観の一片のようなものだったからである。但し、その表現はいつもの通り度を越して間まの抜けたものであり、その発声は曖昧あいまいで緩慢で、かつ何度も同じ事を繰返すのだから、解りにくいこと夥おびただしい。しかし、辛抱強く聞分けてその意味を拾い、それを普通の言葉に直して見ると、その時M氏の洩らした感懐は、大体次のようなものであった。
【中】 不知不觉间三造似乎也喝了不少,有一阵子对方的话完全没听进去,但后来他突然发现对方讲述的方式似乎变了,定睛一看,M先生已经不再谈论老婆的事,而是在谈论“某件别的事情”。之所以说成是“某件别的事情”,是因为这与M先生迄今为止的话题完全不同,(当然一开始根本听不懂他在说什么,但随着不断倾听,渐渐明白过来,)令人震惊的是,那竟然是一种抽象的感想——可以说,是他人生观的一个片段。只不过,他的表达方式一如既往地迟钝得过分,发音含糊且缓慢,而且还多次重复同样的话,所以难以理解的程度可想而知。但是,如果耐心地去听辨并拾取其中的含义,再把它转换成普通的语言,当时M先生所流露出的感慨大体如下:
【日】 ――人生というものは、螺旋らせん階段を登って行くようなものだ。一つの風景の展望があり、また一廻ひとまわり上って行けば再び同じ風景の展望にぶっつかる。最初の風景と二番目のそれとはほとんど同じだが、しかし微かすかながら、第二のそれの方がやや遠くまで見えるのである。第二の展望にまで達している人間にはその僅かの違いが解るのだが、まだ第一の場所にいる人間にはそれが解らない。第二の場所にいる人間も、自分と全く同じ眺望しかもち得ないと思っているのだ。事実、話す言葉だけを聞いていれば、二人の間にほとんど差異は無いのだから。――
【中】 ——人生这个东西,就像是爬螺旋楼梯一样。先看到一处风景的展望,再往上绕一圈,又会撞见同样风景的展望。最初的风景和第二次的风景几乎一模一样,但是哪怕很微弱,第二次的视角却能看得稍微远一点。已经到达第二种展望的人,能明白那微小的差异;而还停留在第一处的人,却不明白。停在第一处的人,会认为在第二处的人看到的景象跟自己完全一样。因为事实是,光听所说的话语的话,两人之间几乎没有什么差异。——
【日】 螺旋階段という代りに、グルグル廻ッテ登ッテ行クノガアリマスナ、ソラ、アノ、高イ塔ナンカニ上ル時ノダンダンニアリマスナ、グルグル廻ッテ昇ッテ行キナガラ、ズットアタリノ景色ガ見ラレルヨウナ、テスリガ付イタリナンカシテイル、ダンダンガアリマスナ、という表現を幾回も繰返して聞かせる位で、以下これに準じて恐ろしくまわりくどく、右の意味のことを言うだけで約三十分もかかるのだが、鉱石の中から乏しい金属を抽出するように、それをよく聞分けて見れば、確かに右のような意味になるのである。何だかモンテエニュでもいいそうなことのように思われ、三造はまた前とは違った意味でM氏の顔を見返した位だが、M氏は読書家ではないから決して書物などからこんな考えを仕入れて来たのではない。五十年の生涯の遅鈍な観察から生れた・彼自身の感想に違いない。こうした言葉を吐きそうな智慧の痕跡のおよそ窺うかがわれないM氏の顔を見ながら、三造は次のように考え始めた。
【中】 仅仅为了替代“螺旋楼梯”这个词,他就用了诸如“那种,咕噜咕噜绕着圈往上爬的东西,有吧,看,那个,登上高塔时那种一级一级的阶梯有吧,一边咕噜咕噜绕圈往上爬,一边能把周围景色尽收眼底的,带扶手什么的那种,一级一级的阶梯有吧”这样的表达,反反复复不知说了多少遍,以下的部分也都以此类推,绕圈子绕得极其可怕。单是表达出上述这层意思,就花了他大约三十分钟的时间,但如果像从矿石中提取稀有金属一样仔细去听辨,确实就是上面那种意思。这让人觉得仿佛连蒙田都可能说出这样的话来,三造甚至带着与刚才不同的意味再次打量起M先生的脸。但M先生不是什么读书人,所以这绝不会是从书本上学来的想法。这无疑是他那五十年生涯中凭借迟钝的观察所产生的、属于他自己的感想。看着M先生那张完全看不出任何能吐出这番话语的智慧痕迹的脸,三造开始了如下的思考:
【日】 誰もがこの男を馬鹿にしているけれども、我々が、もしこの男ののろまな表現を理解してやるだけの忍耐を有もつならば、今この男が吐いた感想位の思想は、常に彼の言葉の随所に見出せるのではなかろうか。ただ我々の方にそれを見出すだけの能力ちからと根気とが無いだけのことではないのだろうか。更に、その鈍重・難解な言葉をよくよく噛分けている中には、我々にも、この男の愚昧ぐまいさの必然性が――「何故に彼が常にかくも、他人の目からは愚かと見えるような行動に出ねばならないのか、」の心理的必然性がはっきりのみ込めて来るのではないだろうか。そうなって来れば、やがて、M氏がM氏でなければならぬ必然さと、我々が我々であらねばならぬ必然さとの間に――あるいは、ゲーテがゲーテであらねばならなかった必然さとの間に――価値の上下をつけることが、(少くとも主観的には)不可能と感じられてくるだろう。現に、M氏は先刻の感想の中で、明らかに、自分を上の階段まで達しているものとし、彼を嘲弄する我々を、「下の階段にいながら上段にいる者を哂わらおうとする身の程知らず」としているに違いない。我々の価値判断の標準を絶対だと考えるのは、我々の自惚うぬぼれに過ぎないのではないか。(このM氏の例を、類推の線に沿うて少し移動させて考えれば)同様に、我々がもし犬だの猫だの、そうした獣の・言葉やその他の表現法を理解する能力を有つならば、我々にも、彼ら動物どもの生活形態の必然さを、身を以て、理解することが出来、また、彼らが我々よりも遥かに優れた叡智や思想を有っていることを見出さないとは限らないであろう。我々は、我々が人間だから、という簡単な理由で、人間の智慧を最高のものと自惚れているだけのことではないのか。……
【中】 谁都把这个男人当傻瓜,但是,如果我们有足够的耐心去理解这个男人迟缓的表达方式,那么像他刚才吐露的那种感想程度的思想,难道不能经常在他的言辞随处发现吗?是不是只不过我们这方面没有发现它的能力和毅力而已呢?进一步说,在仔细咀嚼他那迟钝而难懂的言辞的过程中,难道我们不能清楚地理解这个男人愚昧的必然性——即“为什么他总是非要做出在别人眼里显得如此愚蠢的行为不可”的心理必然性吗?如果真是这样,不久之后,在M先生必须是M先生的必然性与我们必须是我们的必然性之间——或者歌德必须是歌德的必然性之间——要分出高低贵贱(至少在主观上),恐怕会让人觉得是不可能的了。事实上,M先生在刚才的感想中,显然把自己看作是已经达到上面阶梯的人,而把嘲弄他的我们,看成了“身处下层阶梯却妄图嘲笑上层之人的不知天高地厚者”。认为我们的价值判断标准是绝对的,这难道不过是我们的自大吗?(顺着类推的线索,把M先生的例子稍微移作他用)同样地,如果我们拥有理解狗或猫等兽类的语言及其他表达方式的能力,我们也能切身体会到这些动物生活形态的必然性,而且,未尝不会发现它们拥有比我们远为优越的睿智与思想。我们,难道仅仅因为我们是人类这个简单的理由,就自满地认为人类的智慧是最高级的吗?……
【日】 酔の廻まわった頭に、ものを考えるのが億劫おっくうになって来ると、結局落着く先は、いつもの「イグノラムス・イグノラビムス」である。三造は何かに追掛けられたように、あわてて、ぐいぐいと三、四杯立てつづけにあおった。すいっちょは夙とうに何処かへいなくなっている。M氏も大分酔ったらしく、眼を閉じて、しかし、まだ口の中で何かもごもごいいながら、後うしろの柱に倚よりかかっている。
【中】 随着醉意涌上大脑,思考变得麻烦起来,最终的落脚点又回到了那句惯常的“Ignoramus et ignorabimus”(我们不知道,而且永远不会知道)。三造仿佛被什么东西追赶着似的,慌忙接连灌下了三四杯酒。纺织娘早已不知去向。M先生似乎也醉得不轻,闭着眼睛,嘴里却还在嘟囔着什么,身子斜靠在背后的柱子上。
五
【日】 ふん、まだ三十になりもしないのに、その取澄ました落著おちつき方はどうだ。今から何もムッシュウ・ベルジュレやジェロオム・コワニァル師を気取るにも当るまいではないか。世俗を超越した孤高の、精神的享受生活の、なんどと自惚うぬぼれているんだったら、とんだお笑い草だ。行動能力が無いために、世の中から取残されているだけのことじゃないか。世俗的な活動力が無いということは、それに、決して世俗的な慾望までが無いということではないんだからな。卑俗な慾望で一杯のくせに、それを獲得するだけの実行力が無いからとて、いやに上品がるなんざあ、悪い趣味だ。追いつめられた孤立なんぞは少しも悲壮でなんかありはしない。それから、もう一つ。世俗的な才能が無いということは、決して、精神的な仕事の上に才能があるということにはならないんだからな。決して。大体が、享受的生活などというものが、そもそも生活無能力者の・最後の・体裁の良い隠れ家なんだぜ。何だと? 「人生は、何もしないでいるには長過ぎるが、何かするには短か過ぎる」? 何を生意気を言ってるんだ。長過ぎるか、短か過ぎるか、とにかく、それは何かやって見てから言うことだよ。何も判りもしないくせに、何の努力もしないでおいて、イヤに悟ったようなことをいうのは、全く良くない癖だ。それが本当の生意気というものだ。お前が子供の時から抱いて来たという・「存在への疑惑」という奴も、随分おかしなものだが、よし、それに答えてやろう。いいか。人間という奴は、時間とか、空間とか、数とか、そういった観念の中でしか何事も考えられないように作られているんだ。だから、そういう形式を超えた事柄については何も解らないように出来ているんだ。神とか、超自然とか、そうしたものの存在が、(また、非存在が)理論的に証明できないのはそのためなんだ。お前の場合だって、おんなじさ。お前の精神がそういう疑惑を抱くように出来ているから、そういう疑惑を抱くんで、また、その解決が得られないように、お前の(つまり、人間の)精神が出来ているから、お前にはその解決が得られないんだ。それだけのことさ。馬鹿馬鹿しい。
【中】 哼,还不到三十岁呢,那副装模作样的沉稳算怎么回事。现在去模仿什么贝热雷先生(法朗士小说中的学者)或热罗姆·科瓦尼亚尔神父,未免也太早了吧。如果还在自负于什么超越世俗的孤高啦、精神享受的生活啦,那简直是个天大的笑话。不就是因为没有行动能力,被世间给抛弃了而已吗?而且,没有世俗的活动能力,绝不意味着连世俗的欲望都没有了。明明满脑子卑俗的欲望,只因为没有去获取它的执行力,就摆出一副清高傲慢的架子,这简直是糟糕透顶的趣味。被逼入绝境的孤立,一丁点悲壮的感觉都不会有。还有一点,没有世俗的才华,绝不能等于在精神层面的事业上就有才华。绝不是。说到底,什么享受型的生活,本来就是那些生活无能者最后的、体面的避难所。你说什么?“人生,无所事事未免太长,想做点什么又未免太短”?说什么狂妄的话呢!是太长还是太短,总之,那要等你试着做点什么之后再说吧。明明什么都不懂,也不付出任何努力,却说出这种仿佛大彻大悟般的话,这绝对是个坏习惯。这才是真正的狂妄。你从小就抱有的所谓对“存在的疑惑”,也是个十分可笑的东西。好吧,我来回答你。听好了。人类这种生物,就是被设计成只能在时间、空间、数量等这些观念中去思考事情。所以,对于超越了这些形式的事物,注定是一无所知的。神也好、超自然也罢,之所以它们的存有(亦或非存有)在理论上无法证明,正是因为这个原因。你的情况也一样。你的精神被构造得会产生这种疑惑,所以你才会产生这种疑惑;并且,由于你的(也就是人类的)精神被构造得无法得出解答,所以你才无法得到那个解答。仅此而已。荒谬至极。
【日】 一体、「世界とは」とか「人生とは」とか、そんなおおざっぱなものの言い方は止よした方がいいね。第一、羞はずかしいとは思わないのかなあ。多少でも趣味の上のデリカシイを有もっている男なら、恥ずかしくて、そんなものの言い方は出来るものじゃない。それに世界は、(早速こんな言葉を使うのはまずいが、お前に言って聞かせるんだから、どうも仕方がない)そういう概観によっては、決して、大きくも深くも美しくもなりはせんのだ。逆に細部ディテイルを深く観察し、それに積極的に働きかけることによって、世界は無限に拡大されるんだ。この秘密を体得しもしないで、生意気にもいっぱしのペシミストがる資格はないね。誰だって人間が出来てくれば、そう一々、世俗だとか、そのコンヴェンションだとかを軽蔑するものじゃない。むしろ、その中に、最も優れた智慧を見出すものだ。眺めたままの人生の事実だけでは何の奇もないことも、それに或る物を加工し、それを一定の方式に従って取扱う時、たちまち、意味のある面白いものとなることがあるんだ。これが、人生のコンヴェンションの必要な所以ゆえんさ。もちろんこれにばかり没頭しているのは愚の骨頂だが、一見しただけで絶望したり軽蔑したりするのは、馬鹿げた話だ。初等代数の完全平方って奴を知ってるだろう? あの方式を知らなければちょっと解けそうもない方程式が、あれ一つですぐに出来てしまう。そのように、人生の与えられた事実に対しても、一通り方程式の両辺にb/2a[#「b/2a」は分数]の二乗を足たして解りやすく意味のあるものとする技術を習得すべきだね。懐疑はそれからで沢山だよ。
【中】 总之,“世界是怎样的”或者“人生是怎样的”,这种笼统概括的说话方式还是趁早戒了吧。首先,难道你就不觉得丢人吗?但凡在品味上有一丝细腻的男人,都会羞于说出这种话来。而且,世界(刚说完就用这个词是不妥,但为了说给你听,也没办法),绝不会因为这种概观而变得庞大、深邃或美丽。相反,只有通过深入观察细节(Detail)并积极对其施加作用,世界才能被无限地放大。连这个秘密都没能体悟,你根本没资格狂妄自大地装出一副悲观主义者的样子。任谁只要长大成人,都不会去一一蔑视世俗啦、那些习俗(Convention)啦。相反,人们往往能在其中发现最卓越的智慧。光靠观察得来的人生事实,或许平淡无奇,但当你在上面加工些什么,并按照一定的方程式去处理时,它就有可能瞬间变成有意义且有趣的东西。这就是人生的习俗有必要存在的理由。当然,一门心思沉溺于此是愚蠢至极,但仅仅看了一眼就感到绝望或轻蔑,也是极其荒唐的事。你知道初等代数里的完全平方吧?如果没有那个公式就难以解开的方程,有了它立刻就能解出来。同样地,面对人生被赋予的这些事实,你也应该去习得一门技术:试着给方程式两边加上(b/2a)的平方,使它变得容易理解且富有意义。至于怀疑,那等到这之后再说也不迟。
【日】 とにかく、繰返して言って置くけれども、あの気障きざな・悟ったような・小生意気こなまいきな・ものの言い方だけは、止してもらいたいな。全く、お前よりも此方こっちが恥ずかしくて、穴へでも這入はいりたくなる。一昨日おとといだって、見ろ。仲間の独身者たちと結婚について話をしていた時の・あのお前の言い草はどうだ? 何と言ったっけな。そう、そう。「どんな面白い作品だって、それを教室でテキストにして使えば途端に詰まらなくなっちまうのと同じで、どんないい女だって、女房にしちまえば、途端に詰まらない女になってしまうんだよ。」か。それを得意気に言った時の・お前のうすっぺらな・やにさがった顔付を思出し、お前の年齢と経験とを併せて考えると、本当に己おれは、恥ずかしいのを通り越して、ゾッと鳥肌が立って来るよ。全く。まだ、ある。いうことは、まだ、あるんだ。鼻持のならない気取屋のくせに、その上、お前はきたならしい助平野郎でさえあるじゃないか。知ってるぞ。いつだったか、海岸公園へ生徒を二人連れて遊びに行った時のことを。その時お前たちが芝生で腰を下して休んでいたら、やはり近くで休んでいた労働者風の男が二・三人、明らかに故意わざと聞えるような声で猥みだらな話を交していたろう。その時の・お前の態度や目付はどうだった! 当惑し切って、よそを向いて聞かないふりをしている――しかし、どうしてもそれを聞かない訳に行かない少女たちの方を、お前は、また、何といういやらしい目付で(おまけに横目で)ジロジロ見廻したことだ! いやはや。
なに、己は別に人間生来の本能を軽蔑しようというんじゃない。助平、大いに結構。しかし、助平なら助平で、何故堂々と助平らしくしないんだ。気取ったポーズや、手の込んだジャスティフィケイションのかげに助平根性を隠そうとするのが、みっともないと言ってるんだ。この事ばかりではない。その他の場合でも、何故もっと率直にすなおに振舞えないんだ。悲しい時には泣き、口惜くやしい時には地団太を踏み、どんな下品なおかしさでもいいから、おかしいと思ったら、大きな口をあいて笑うんだ。世間なんぞ問題にしていないようなことを言って置きながら、結局、自分の仕草の効果をお前は一番気にしているんじゃないか。もっとも、お前自身が心配するだけで、世間ではお前のことなんか一向気をつけていないんだから、つまりは、お前は、自分に見せるために自分で色々の所作を神経質に演じている訳だ。全く、どうにも手の込んだ大馬鹿野郎・度しがたい大根役者だよ。お前という男は。…………
【中】 不管怎样,我还是要反复重申,那种矫揉造作的、仿佛看透一切的、狂妄自大的说话方式,请你务必停下来。真的,比起你,我这边反而觉得更丢人,恨不得找个地缝钻进去。你看前天的事吧。在和那些单身汉同伴谈论结婚的时候,你那是说的什么话?你说了什么来着?对,对。“再怎么有趣的作品,一旦在教室里当课本用,就会立刻变得索然无味,就像再好的女人,一旦娶来当老婆,也会瞬间变成无聊的女人一样。”是这句吧。一想起你得意洋洋说这句话时那副肤浅的、自鸣得意的嘴脸,再结合你的年龄和经验一想,我真的是不仅仅觉得害臊,简直是毛骨悚然地起了一身鸡皮疙瘩。真的。还有,要说的还不止这些。明明是个让人作呕的做作家伙,不仅如此,你甚至还是个肮脏好色的流氓,不是吗。我可都知道。不知是什么时候,你带两个女学生去海滨公园玩的那件事。那时你们坐在草坪上休息,附近同样在休息的两三个工人模样的男人,明明是故意扯着嗓子大声说些下流的荤段子吧。那时候你的态度和眼神是怎么回事!你极度困惑,转过脸去假装没听见——然而,对于无论如何也无法不听见的少女们,你又是用怎样恶心的眼神(而且还是斜着眼)去盯着她们打量的!哎呀呀。
我并不是想蔑视人类与生俱来的本能。好色,好得很。但是,既然好色,为什么不能堂堂正正地表现出好色该有的样子?我是说,把好色之心藏在装腔作势的姿态和精心编织的自圆其说背后,实在太难看了。不仅如此。在其他情况下,你为什么就不能表现得更坦率自然一点呢?悲伤时就哭,不甘时就跺脚,不管是多么下流的笑话,只要觉得好笑,就张开大嘴去笑啊。嘴上说着根本没把世俗放在眼里,到头来,你最在意的却不还是自己一举一动的效果吗?只不过,这也仅仅是你自己在瞎操心,世间根本就没人在意过你,也就是说,你为了演给自己看,神经质地表演着各种动作罢了。真的,你简直是个费尽心机的大傻瓜、无可救药的三流蹩脚演员。你这个男人啊。…………
【日】 気がつくと、三造は、何処かの店の飾窓ショウ・ウィンドウの前のてすりにつかまり、硝子ガラスに額を押付けて危く身体を支えながら、半分睡っていたらしい。飾窓の明るさに眼をしばだたいてよく見ると、それは頸飾や腕輪や、そういう真珠の製品ばかりを売る店である。おでん屋の前でM氏と別れ、それからぶらぶらといつの間にか、弁天通という・この港町特有の外人相手の商店街まで歩いて来ていたに違いない。振りかえって通りを見れば他の店は大抵しまって人通もなくひっそりしているのに、この店だけは、どうした訳か、まだあけているようだ。目の前の飾窓の中では、真珠たちが、黒い天鵞絨ビロードの艶やかな褥しとねの上に、ふかぶかと光を収めて静まっている。電燈の工合で、白い珠の一つ一つが、それぞれ乳色に鈍く艶を消したり、うす蒼く微かな翳かげをもったりして、並んでいる。三造は酔ざめの眼で、驚き顔にそれをぼんやり眺めた。それから窓際を離れ、しばらくの間M氏のことも先刻の自己苛責のことも忘れて、人通りの無い街を浮かれ歩いた。
【中】 回过神来时,三造不知抓着哪家店橱窗前的栏杆,额头抵着玻璃勉强支撑着身体,似乎是在半睡半醒之间。被橱窗的亮度晃得眨了眨眼,仔细一看,这是一家专门出售项链、手镯等珍珠制品的商店。在关东煮店前与M先生分别后,他大概是漫无目的地走着,不知不觉就走到了这条名为“弁天通”的、这个港口城市特有的专做外国人念意的商业街。回头望向街道,其他店铺大多已经关门,杳无人迹,十分冷清,唯独这家店,不知出于什么原因,似乎还在营业。眼前的橱窗里,珍珠们躺在黑色天鹅绒那充满光泽的软垫上,深深地收敛着光芒,静静地安放着。在灯光的映照下,一颗颗白色的珠子有的散发着乳白色的哑光,有的则带着淡淡的微蓝阴影,排列在一起。三造用带着酒醒后惺忪的眼睛,吃惊而又茫然地注视着这一切。接着他离开了橱窗,有那么一会儿,把M先生的事以及刚才内心的自我苛责全都抛诸脑后,轻飘飘地走在空无一人的街道上。